人を信じながら、騙されない、誘拐されないために(前)

忌むべき犯罪が増えると、どうしても、人が人を信じられなくなっていく。とりわけ、小さな子供を持つ親は、人に対して、どう教えたらいいのだろうかと、頭を悩ますに違いない。
 「人を信じるな」と教えるか「人を信じよう」と教えるか。

 「人を信じるな」と教えると、子供が「猜疑心の人生」を送ることになる。これでは、生きていくことそのものが辛くなる。
 社会は敵であふれている。人は自分を攻撃したり、騙してくる。
 などという気持ちで街を歩けば、人が怖くなってくる。
 かといって、「人を信じよう」と教えると、誘拐犯にも付いていってしまうのではないか、と心配になるだろう。
(これは、大人でも同じことである。「人を信じよう」とすれば、騙されるのではないかと、心配になる。)

 書き出すときりがないので、あまり深いところまで語るつもりはないが、一言でいえば、

◎「意志を持たない人」ほど、騙される。
 子供でいえば、「意志を育てていない」子供ほど、誘いに乗りやすい。

 子供Aは、自分の意志を大事に扱われている。
 子供Bは、親のいうことが絶対で、一方的に責められたり怒鳴られたりしながら、「子供自身の意志」を無視されて育っている。
 子供Bの親はこんなふうだから「知らない人についていかないように」と注意するとしても、叱ったり責めたり、子供を否定するような態度で言うだろう。

 例えば、こんな二人に、
「~を買ってあげる。~があるよ」
「お母さんが呼んでるよ」
 などと誘拐犯が話しかけてきた。

 この子供Aと子供Bは、どう行動してしまうだろうか。
 その行動の違いを考えてみてほしい。 (続く)