許すこと《1》  

 同じ共通言語を遣っていても、それぞれに受け止め方や尺度の違い
があるために、言葉だけでは、なかなか真意が伝わらないものだと思
うことがしばしばある。
 例えば、相手を「許す」という言葉の意味をどういうふうに解釈し
ているだろうか。
 相手を「私が許す」というのは、相手の間違っている点に言及した
り、触れたりしないで、黙っている。
 心の中は「許せない」というマイナス感情に囚われているにも拘わ
らず、「許さなければならない」「許すしかないんだ」などと、自分
の感情を抑え込んでしまう。
 そうやって自分の感情を自分の中で勝手に処理して、それが「許す」
ことだと思い込んでいる人が少なくない。

 もし「許す」ということを、こういうふうに解釈しているとしたら、
「許す」と言葉では言ったものの、「許せない」という感情で苦しむ
ことになるだろう。

 それに、どうだろう。
 これが本当に、相手を許したことになるのだろうか。
 一度か二度会うだけの、すれ違い程度の相手の言動に、ちょっと傷
ついたという程度の事なら、それっきりと割り切って、「許す」とい
うより、忘れてしまうこともできるだろう。
 しかし、自分をひどく傷つけた相手が、家族、夫婦、親子、恋人な
ど身近な相手だと、愛情を感じているがゆえに、かえって許せない場
合もある。

 そんな相手を「許さなければならない」とばかりに、
 相手がとるべき責任をうやむやにしてしまう。
 相手の責任を不問に付す。
 あるいは、自分が相手の責任の肩代わりしてやる。

 もし、あなたがこんな許し方をしているとしたら、相手はほっと胸
を撫でおろすことはあっても、恐らく心から「悪かった」と反省して
はいないだろう。

 「許す」という意味を、そんなふうに誤って解釈してしまうと、自
分は愛をもって「とても良い行い」をしているつもりでいても、現実
的には、
「許してあげたのに、反省しないで、また、同じことを繰り返す」
というようなことが起こる。

 「許す」というのは、決して「相手の責任を放免にする」という意
味ではない。
 指摘すべきことは指摘する。
 正すべき点は正す。
 とるべき責任はちゃんと、とる。
 こんなふうに、相手に責任を突き付けていくにつれて、あなたは少
しずつ、相手を許す気持ちになっていくだろう。
 そのとき初めて相手も「悪かった」と心から思い、「過ちを繰り返
すまい」と決断する。

 「許す」ことと、「責任をとる」こととは、別問題である。
 このように責任を曖昧にしないことこそ、許す私も許される相手も、
その行為を「愛をもって許す」ことができるのではなかろうか。《続く》