マイナス環境の中にいるとき(5)

 もし、意志をもって「ここに居よう」と決断するとしたらなら、次
の発想としては、
「だから、少しでも自分にとって居心地良い環境にしていこう」
 と思うでしょう。
「居る」ことを能動的な意識で覚悟すれば、こんな気持ちが湧いて
きます。

 もっともそれは、
「いったん居ると決めたら、いつまでもそこに居なければならない」
 ということではありません。
 一度決めたら、居たくなくなっても一生そこに居なければならない
としたら、絶望的になってしまうでしょう。

 もうそこに居たくないのに、そこに居ることをやめようとすると、
「そこから逃げることになる」と、あたかもそこを去ることが、弱い
人間であることのように発想する人が少なくありません。

 でも、そこを「逃げる」と捉えるか、「自分の意志でやめる」と捉
えるかは、単に、自分次第です。

(これは恋愛でも共通しますね。相手と別れるとき、相手を捨てたと
捉えるか、捨てられたと捉えるか。
 不思議でしょう。目で見える現象は同じなのに、正反対の心が存在
するのですから。)

 居たくないのに、そこに踏ん張ることが「強い」ことではありませ
ん。
 そこに居るかどうかを、「強い」「弱い」の尺度で測ろうとするこ
と自体が、間違っているのです。

 「強い」「弱い」の尺度を外して、
《もし、決断できなければ、決断できる自分になるために、そこに居
る》
 これも、そこに「居る」ための理由となります。
 例えば、
「まだ決められない。だから、決めるために3カ月居よう。どうする
かは、3カ月経ってから決めよう」
 あるいはその理由が、
「出ていくのが怖いので、どうなるか分からないけれども、まだ、こ
こに居て、その怖さを軽くしていこう」
 でもいいのです。

 こんな多少消極的な理由であれ、
 前記しているような、
「ここに居ると決めたから、少しでも自分にとって居心地良い環境に
していこう」
 という理由であれ、
《目標をもって「そこに居る」。》
 実は、これが“非常に、非常に”重要なことなのです。(つづく)