「捨てる」と「捨てられる」(前) 

 恋愛で、相手と別れるとき、相手を捨てたと捉えるか、捨てられたと捉えるか。

 「意識の法則」を基準にすれば、どちらも同じである。

 なぜなら、AがBを捨てたとしても、AがBに捨てられたとしても、実際に別れるという事実があるとするなら、双方の潜在意識下では、お互いが「別れること」に同意しているからである。

 この「同意」というのは、本にも書いているように、「それが起こることを恐れている」恐怖心も、同意と捉える。

 なぜ「同意という言い方をするのか」というと、その恐怖心すらも、「自分を守るため」の恐怖心であるからだ。

 あまりこれを大っぴらに言うと、「悲劇的な出来事」にも同意があるのかというような話題に拡がったりする。
 それについて語り始めるとすると、誤解が生じるのが、話づらいところである。

 だから、信じる信じないはその人の自由。あるいは、意見を言うのは自由だから、としておきたい。

 ま、それを前提として。

 いま流行の韓流のテレビドラマや恋愛ものを、私は見たことがないので、それについて語ることはできないが、例えば、主人公の男と女が、もろもろの突発的な出来事で「なかなか逢えない」としたら、それは、
「逢いたいのに、逢えない」
 ではなくて、
「お互いが、逢うことを恐れているために逢えない」
 というふうに捉える。

 もちろんそこには、無意識の「理由や目的」がある。(つづく)