「捨てる」と「捨てられる」(中)

 その理由とは、
・一緒に過ごすと、相手を気にし過ぎて、息苦しくなったりする。
・一緒に長くいると、相手が自分に幻滅して、嫌われてしまうのではないかと恐れる。
・逢っているとき、常にハイテンションでいなければならない。それを維持するのが辛い。
・自分を作っているので、自分の実像がばれるのが怖い。
・しょっちゅう逢っていると、興ざめして冷めてしまうので、たまに逢っているほうが、刺激的で、恋愛をしているという実感を味わえる。
・その他もろもろの理由
(相手の親と同居が嫌。自分の仕事を辞めて相手の仕事先や勤務地に行くのが嫌。恋愛するのはいいけれども、本当は生活力や経済力があるとは思えない。放浪癖があって、一カ所に相手が居を構えて安定した生活を営んでくれるようには思えない)
 などというふうに、その理由を挙げれればキリがない。
 だから、逢うのを避ける。

 だから、意識の法則でいえば、「捨てる、捨てられる」「逢える、逢えない」には、顕在意識で思うこととは異なる無意識の意識が働いていて、その現象は顕在意識と無意識の統合ということになる。

 もっとも、そんなことは、無秩序に起こしているわけではない。そこにちゃんとさらに深い「無意識の目的」がある。

 一言でいうなら、それは、「意志と能動的な行動力」を身に付けるためである。
 言い換えれば、それは「自分を育てるため」である。
「被害者意識を捨てるため」という言い方もあるかなあ。(つづく)