「捨てる」と「捨てられる」(後-1)

 意識の法則でいえば、「捨てる、捨てられる」「逢える、逢えない」には、顕在意識で思うこととは異なる無意識の意識が働いている。
 その現象は顕在意識と無意識の統合ということになる。
 もちろんそれは、無秩序に起こしているわけではない。そこにはちゃんとさらに深い「無意識の目的」がある。
(前回は、こんな話をした。)

 例えば、今は不倫関係で、なかなか会えない。だが、お互いに身軽になって、再婚したい。
 そう願っている。

 そんな彼女が、白昼夢を見る。
 ありありとした、夢である。
 その夢では、不倫相手と結婚している。
 ところが、結婚しても、仕事が忙しいなどの理由から、夫は、彼女と、ゆっくり時間をとろうとしない。
 これじゃあ、結婚しても、なかなか会えないのは、不倫関係のときの状態と一緒じゃないか。

 そして思う。
「ああ、やっぱりこの人は、結婚する相手ではなかった」
 と。

 一緒になっても、どこか満たされない。
 夫は、自分と向き合おうとしない。
 彼女自身も、向き合えない自分を自覚する。
「共に一緒に生きる」ことが、二人ともできない。
 短い時間ならできるのだが。

 そこで目が醒めた。
 そのとき、彼女は自覚する。
「彼との結婚が実現しないのは、もろもろの障害があるからだと顕在意識では信じていた。不倫関係だったのは、無意識の私が、結局は、結婚してもうまくいかないのを知っていたからなのだ。不倫関係でいるのは、それなりの理由やメリットがあったからなんだ」

「無意識の私」が見せてくれた夢だった。
 なかなか会えない。なかなか一緒になれないのは、理由があった。
 無意識は、ちゃんとそれを知っていた。知らなかったのは、顕在意識だけである。(つづく)