正義は相手のためではなく、自分のために(上)

(Hさんからメールを戴きましたが、長いので全文を載せるのは省き、その一部について、「パターン例」として述べさせていただきます。)
 簡単にいえば、
「会社の体制が次々にマイナス方向に変化している。現体制では無理なのは分かっているはずなのに、職場の係長、課長は、言われるままに実行している。支店長を囲んでの意見交換会があったとき、私が意見を言ったが、逆に、支店長の屈辱的な答え方に傷ついてしまった。」

 常に言っていることだが、「自分が正しい」ことを言っているつもりでも、あるいは事実正しいことであっても、当然、通用しないことが少なくないだろう。

 部下のほうが能力が高く、上司のほうが低ければ、部下にとっては、なおさら、腹立たしい限りであるだろう。
 上司がそれで怒鳴ったりすれば、いっそう腹が立つ。
 けれども、自己評価が低い人だからこそ、自分を自分で認められない人だからこそ、怒鳴るしかない。ということであれば、怒鳴る人に対して、怒鳴ることをやめさせることはできないと、これを前提にしたほうがいい。

 常々言っているが、脳幹(自律神経)にスイッチが入ると、「戦うか逃げるか」。その「生命の危機反応」で攻撃体制をとる。だから、(攻撃されるという恐怖が働いて)怒鳴って威嚇する。
 恐怖反応だから、仕方がないといえば、仕方がない。

 Hさんは怒鳴られて傷ついたが、上司も「攻撃された」と感じて恐怖で怒鳴った……。

 Hさんは傷ついて、悔しいだろうけれども、相手も恐怖で脅えているから、「意識」と言う点では、五分五分なんだ……ね。
 それだけHさんの発言は、上司の痛いところを突いたんだと思う。

「正義」を貫くのは、損をするからやめようと言っているわけではない。
「会社のために言う」のをやめようと言っているわけではない。
 
「会社のために」というより、自分のために自分の信条を貫くのは、大いに結構。
※私(石原)自身も、自分のために、自分の信条通りに生きたいと願っているから。

 だからHさんは、自分のスタンスを貫き、意見として述べることができる自分を誇りに思って、高く高く評価していただきたい。

 ただし、その行為は、飽くまでも、相手のため、会社のためというより、自分自身のためにやっているのだということを、自覚してほしい。

 何より証拠に、相手が攻撃体制をとって、反撃してきた。これは、上司が、「Hさんは自分に信条を押し付けようと攻撃してきた」と認識したためである。
 結果として、Hさんは、正論を言ったのに、傷ついて終わった。

 こんなとき、自分自身が傷つかないために、「止め時」を知ってほしい。
(別のテーマとして、表現の仕方もありますが。)

 どんなにHさんの意見が正論であっても、相手の脳幹にスイッチが入ってしまうと、話の内容を聞く余裕などなくなってしまうために、話を続けても無駄だからである。
 後はもう、お互いに「攻撃のための言葉、相手をやり込めるための言葉」となるので、言葉そのものには、たいして意味も価値もなくなっている。
 無駄な会話で、自分が傷つくだけである。
 だから、ひとつは、
「いまはもう、言っても無駄だし、自分も傷つくだけだから、いったん、やめよう」
 とつぶやいて、やめる。

 こんな「やめ時、降り時」を知ってほしいと思う。(つづく)