行動というのは思考では処理できない(4)
どんな状態であっても、その行動(状況)は、顕在意識と無意識の統合として、そこに現れている。
それを「しなければ」と思考したとしても、体が動かないとしたら、動かないという事実のほうが、重要だ。
もし自分が、無意識に「しなければ」という義務的な思考をしているとしたら、それは、感情では「したくない」と思っているだろう。
だから感情は「動けない」という方法で、自分の願いを叶えている。
「いえ、そんなことはありません。私は、元気だったら働きたいんです」
と否定する人もいる。
「それでも、身体が動かないんです」
「働きたい」と思っている。そんな気持ちもわかる。
無意識であれ顕在意識であれ、要するに、それは分量の問題だ。
「私は〇〇したい」
けれども、
「それをするのが嫌だ。つらい。怖い」
という思いのほうが、はるかに大きい。
こんな「はるかに大きい感情」を無視して、「やらなければ、やらなければ」と思考で処理しようとして、自分に叱咤激励すればするほど、感情はそれに抵抗するので、いっそう動けなくなる。
実は無意識は、そうやって「自分の心を守っている」のだ。
無意識は、自分の心の安全を優先する。
自分の生命を生かすことを考える。
だから、動けないときは、「動きたくないんだ」だから「動くのはやめよう」と、“意志”をもってそれを受け入れたほうがいい。
ところが、いまの自分の気持ちが、ほんとうの気持ちなのか、思考によって作り出された感情なのかが、わからなくなることがある。(つづく)