詰問系タイプは、全身が傷だらけ(2)

 私が「感情」というとき、私のいう感情は常に「肯定的感情」を基準にしています。ところが、もしかしたら、感情というと「否定的感情」を基準にしている人が少なくないのではないか、と思うことがあります。

 私は分類の一つのパターンとして、よく「感情が育っていない」という言い方をします。これは、感情がないというわけではありません。
 (前回書いているように)反対に、「感情が育ってない」人は、誰よりも傷つきやすいといっていいでしょう。
「心がガラス細工のように繊細すぎて、すぐ傷つく」
 という言い方もできます。
 けれども、こんな言い方は一面では適切でも、一面では不適切です。
 「繊細」という言葉の響きに私が感じるのは、「プラス感覚」です。
 それは決して、傷つきやすいということではなく、“自然”を感じ、“人”を感じるこまやかで美しい感性---そんなイメージを抱いています。

 ところが、傷つきやすい人の多くが、否定的言葉には敏感でも、しばしば肯定的感情には、おどろくほど鈍感です。

 それは、言葉や思考に囚われているからです。
 相手の言葉や、それ以上に、自分自身の思考に。

 否定的な思考に囚われ、否定的思考から生まれる否定的感情を抑えたり、感情を鈍化させようと必死になっていると、肯定的感情をも、実感することができなくなっていきます。

 肯定的思考ではなく、「肯定的感情の実感」を味わう分量が少ない。
 人間脳タイプが陥りやすいところでしょう。

 この肯定的感情を実感する分量が少ないのを、簡略的に「感情が育っていない」という言い方をしてしまうのですが、それで「カチン」と来てしまう人がいるとしたら、許してくださいね。

 私がつい、断定的に言ってしまうのも、パターンで言うからです。
 パターンやタイプは、典型的な例ですから、その診断や分析結果としてそうなるという程度の意味だと解釈していただきたい。

 とはいえ、そのパターンが、あまりにも正確だと驚く人や、「言った通りになった」とびっくりする人も少なくありません。(つづく)