超感覚(上) 

 ユング派に、「内臓感覚」や、ディクマンの「超感覚知覚」という言葉を発見して、うれしくなった。

「内臓感覚」というのは、相手の臓器の感覚を「私が感じる」ことであり、「超感覚知覚」というのは、相手の意識や心や身体の反応の状態を「私自身が感じる」ことであると解釈した。
 実は私が長年、この感覚に悩まされて続けてきたからだった。

 それは相手が発してるエネルギーがあって、それを私がキャッチするからなのか。それとも、部分的に私の身体と相手の身体が重なるために、私が相手の意識を感じるのか。
 赤ちゃんは、母親のそんな感情や感覚をほぼ正確にキャッチしている、というより、「母親と同調しているようだ」ということが、実証もされているらしい。

 この感覚は、私が心理療法をしはじめたから育ったものではなく、多分、もともとそんな超感覚が備わっていたのだと思う。
(ただ、心理療法をやりはじめたために、いっそう、その感覚力が発達し、いやおうなしにも、それを認識せざるを得なくなった。)

 マイナスのエネルギーに晒されると、とにかく「つらい」。
 相手の意識と私の意識とに差があればあるほど、「自分が苦しむ」ことになる。
 霊的世界でいえば、憑依されたとでも言うのだろうか。
 過去に存在した人に意識を合わせることも可能で、その人の意識のありようを感じるから、まったくの的外れともいえないのだろう。
(まだ、未来の人に焦点を当てたことはない。こんど、実験してみよう。)

 相手が幸せを実感していれば、それだけで幸せ気分に満たされるので、得な面もあるが、相手がつらければ、私の身体がそれに同調して、私自身も非常につらくなる。

 それを解決するため、どうしたらいいか。
 それが「自分中心心理学」の始まりだった。(つづく)