超感覚(下ー2) 

(ユング派が言う「内臓感覚」や、ディクマンの「超感覚的知覚」で言うと、私が相手の影響を受けないで、「私自身が楽」な人がいる。
 ただし、私にとっては、非常に楽だが、相手自身は、とてもつらいはずである。)

 どんな人だろうか?

 それは「感情を、固く、強く、見事に閉ざしている人」である。

 本当は、そんな人たちは「自分の感情を解放すれば」、感情豊かな人たちであるに違いない。けれども、自分のその感情が、あまりにもつらかったり、きつかったりしたためだろう、頑丈な鉛の箱に、自分の心を閉じ込めてしまった……。

 閉ざしているので、エネルギーが何も伝わってこない。
 見た目には、明らかに、とてもつらそうなのだが、本人は自覚していないふうでもある。

 感情を強く、固く閉ざしている人たちは、本音と建前を使い分けるどころか、建前しか言わない。
 すでに自分でも、それが建前だと気づいていない(かも知れない)。

 しかし、本人は自覚していなくても、体内では、感情の嵐が渦巻いている。

 文字通り、それはエネルギーである。
 しかもマイナスエネルギーであるために、それを解消できないと、肉体の細胞を破壊していく。
 亡くなられた元総理の橋本龍太郎さんが、多少、そんな感じを受けた。

「あなたは、何を考えているか、わからない」
 こんなことを言われたことがある人は、感情を感じなくなることで、自分の心を守っている。だからかろうじて心は守れるかも知れない。

 けれども、マイナス感情のエネルギーは蓄積して、それがからだにあらわれる可能性があるので、そういう人は得に“健康に要注意”である。

 ちなみに、
「あなたは、何を考えているかわからない」
 と言われる人は、
「私は~したい。僕は~が嫌だ。俺は、こうしたいんだよ。僕はこう思っているんだ。こう感じたんだ」
 などと、気持ちや感情を反映する言葉を決して(と言っていいぐらい)発しない。

 ましては、
「好きだよ。嬉しいね。楽しいなあ。ありがとう。感謝してるよ」
 などといった「自分の感情を解放する言葉」をほとんど発しない。(つづく)