超感覚(下ー5)
(このテーマについては、もっと引き延ばせるが、いま、じっくりと時間をかけるのが困難なので、この話に関連することは、『もっと自分中心でうまくいく』(こう書房)に譲りたいと思います。ひとまず話を元にもどします。)
それぞれが、同じ地球の上に立っていながら個々の目に見えているもの、感じているもの、信じているものは、それぞれに異なっている。
どうにか共通としての言語があるものの、その言葉が意味するものすら、カウンセリングをしていると、同じ言葉を用いていても、まったく異なる世界を見つめ、語っているのだと思い知らされる。
その中で、ただ一つ、共通するものがあった……。
それは同時に、「相手に影響されないためには」の答えとなった。
私が超感覚から得たその答えは、
「万物に共通する鍵概念は、やっぱり“意志”らしい……」
ということだった。
自分中心にすればするほど、相手の意識に影響を受けない。
自分を核にして、意志をもてば、さらに悪い影響を受けない。
相手の意識に撹乱されない。
自分の「意志」をもつということは、相手の生き方を認めることとも関連がある。自分の意志をもつというのは、相手によって自分の生き方を侵害されないということである。
相手におびやかされない自分であれば、相手の生き方を認めることができる。
自分の意志を侵害されない。
自分を守ることができる。
相手の生き方を心から認めることができれば、相手の否定的なエネルギーにさらされることも少なくなる。
例えば、読者の声・受信発信のテーマの「身内問題」も、同様だ。
「自分の気持ちを第一にし、選択の責任を判断の基準にして、意志を持つ」。そして自分の責任でないものは、相手に丁寧にお返しする。これが、相手のエネルギーにさらされない方法である。
「自分の楽」と「相手の苦しさ」とは、波長が同調しない。
だから、そうできればできるほど、相手の影響を受けない。
むしろ、自分のほうが、その「楽」を相手に与えることができるだろう。
だから、自分が楽になればいい。
自分を愛していけばいい。
自分に関心を向けていけばいい。
この超感覚を、顕在意識と無意識に当てはめると、
「自分が無意識に望んでいることと、顕在意識で考えていることとが一致していなければ、不調和感を感じる」
「顕在意識と無意識の目的が一致しているときは、調和感を感じる」
ユング派は、「意識と無意識」は、「対決であり、折り合いであり、統合だ」と言うらしい。
「意識の世界」は、見る者によって異なる。だから、ユング派にはユング派の世界がある。
だから、私には「意識の世界」は、こう見える。
自分を守るため。
自分の願いを叶えるため。
自分を育てるため。
自分をすべてから解放するため。
究極は、自分を愛するために、ある。
そのために「自分の意志と無意識」との調和を図る。
そのための統合であると。
最近とみに、そう思う。
自分を責めることはない。
否定することはない。
ひたすら自分を解放していけばいい。
ひたすら自分を愛していけばいい、と。