子供の問題は、親の問題

(Dさんの家庭環境がそうだと個人的なことを言っているわけではないが)子供のことを理解できない親が多い。

 子供といっても、この場合、未成年者というだけでなく、20代、30代世代の両親ということもできる。

 とくに中高年の父親は、子供の精神的な苦しみや、子供の置かれた状況を、ほとんど(心で)理解できていないんだと、痛感させられる。
(こんな言い方をすると、中高年の男性の皆さんは不快かも知れないが。)

 例えば子供が、具体的な症状を表すほどに精神的にダメージを受けていたり、それで社会適応が難しくなっているとしても、見た目には異常がないために、「怠けている」としか映らなかったりするようである。

 もちろん、無意識には理解している。
 自分たち親が、子供をそうさせてしまったのだと。

 けれども、親本人はそれを自覚したくない。
 自分のせいで子供が傷つき、動けなくなっている、苦しんでいるのだと、認めることが怖いのだ。
 それを認めると、どう対処していいか、わからなくなってしまう。
 責任を問われたら、恐怖と混乱に陥ってしまう。
(土台、人との対等な係わり方を学んでいない世代である。)

 感情を抑え過ぎた結果、感情が麻痺して、自分の感情を知覚できない人も少なくない。

 仮にそうだとしても、他者からは、感情を必死で抑えているのが見てとれる。
 どんなに表面的に平静さを装っていても、恐れを隠そうと必死になって自分と戦っているのが、他者には、はっきりと見えている。

 かつての日本は、全体主義、軍国主義で、「お国のため」「親のため」に、自分を殺して黙って従わなければならなかった。
 それを正しいと信じていれば、内的葛藤は起こりにくい。これが親の世界である。

 それに疑問を抱いたとき、葛藤が起こる。これが子供の世界である。
 古い世代と新しい世代との間に、こんなギャップがあるために、親は、「自分が子供を傷つけてきたのだ」と認識するのも、言われることにも納得しがたいだろう。

 親(A)は、自分の親(B)に従ってきたのだから、今度は、自分の子供に要求したくなる。

 親(A)にしてみれば、自分は、親(B)に従ってきた。そろそろ老後を考えれば、自分が子供に面倒を見てもらいたくなっている。ところが、子供は、老後を見てくれるどころか、
「お前が俺を傷つけたのだ」
 と責めてくる。
 親(A)からすれば、踏んだり蹴ったりであるだろう。
 社会的、仕事的にも、変化の大きいサンドイッチ世代で、上にも下にも我慢させられる損な世代かも知れない。

「じゃあ、俺たちの責任だとして、いったいどこまで、責任をとればいいんだ」
 という叫びの声が聞こえてくる。

 が、それでも、あえて言いたい。
 子供の問題は、子供の問題であるだけでなく、「家族の問題」であり、「自分の問題である」と、親自身が、気づくべきである。
 まずは、そう認識するだけで、子供に対する言動も微妙に変わってくる。