言葉が人生を創る(3)
相手が何をどう言おうが、どんな正論を説こうが、あなたがその相手と話をしていて「苦しい」と感じたら、その感覚のほうが、あなたにとっての真実です。
そのとき会話以外のところで、あなたにとって不都合な「何らかのマイナス関係」が生じています。
揚げ足を取る。
ケンカをしかける。
皮肉や厭味を言う。
相手がこんな態度で話をしてきたら、誰だって不快になります。
当たり前ですね。
このとき相手が言う「正論」のほうに耳を傾けると、なんとなく、
「相手に従わなければならない」
という気持ちになったり、
「やっぱり、自分のほうが、間違っているのだろうか」
というふうに、自分を疑いはじめるでしょう。
例えば、
「これこれしかじかの理由で、これを買いなさい」
と言われたとき、その「これこれしかじかの理由」が正論だと思ったら、それを「買わなければならない」ような気持ちになるでしょう。
けれども、「これこれしかじかの~」という相手の、その態度や表情や言い方を、あなたが「怖い」と感じたとしたら、それは相手が“脅し”をかけているからです。
このとき相手の無意識の目標は、
「正論」よりも「脅し」て買わせる。
つまり、あなたの「怖い」という感じ方のほうが、あなたにとっては真実です。
このとき「正論」に耳を傾ける。あるいは、その「怖さ」に屈服すれば、後でトラブルが起こる確率は高くなります。
屈服するより、怖いと感じたら、「離れる。いったん保留にする。逃げる」という対処法もあります。
このように相手がしゃべる言葉の内容よりも、相手がしゃべっているときに私が感じる「私の感じ方」のほうが、相手の情報を、より正確にキャッチしています。
だから、相手の言葉よりも、あなたが感じる、その感覚を信じてほしいんです。
あなたの感じ方のほうが、あなた自身にとっては、正しい。仮にあなたが間違っていたとしても、です。
「私の感じ方のほうが、おかしいんだろうか」
と自分を疑うことはありません。
「私は身勝手なんだろうか」
「私は間違っているんじゃないだろうか」
などと、自分を「思考」で疑うよりは、自分自身の感覚のほうを信じましょう。
相手を憶測するより、自分の感覚を基準にしたほうが、より正確な情報をキャッチできます。
それは一般的な“標準”ではなくて、あなた自身にとっての正確さです。
だからこそ、自分の感覚に焦点を当てることは、自分自身を守ることにもなるのです。(終わり)