誰かに頼りたい、甘えたい(2)

 一見、彼女の願いは叶っていない。
 と見えるけれども、願いは叶っている。
 これが「意識の法則」だ。

 それは、顕在意識が理想としてイメージすることと、無意識で実感し、信じているところと、微妙なギャップがあるからなんです。

 例えば、「頼りたい」とは、
「私は何も言わずに、(相手に)私を引っ張っていってほしい」
 ということになる。

●この「(私は)頼りたい」と「(僕は)頼ってほしい」とが一致しているときは、“私”からすれば、相手が「頼りがい」があると映るだろう。

●しかし、「(私は)頼りたい」と「(僕は)頼ってほしい」とが一致しないと、どうなるだろう。

 デートしているときは、相手が「頼りになる。甘えられる」と見えていました。 
 ところが、いざ結婚してみると、それは、「口うるさく指図して、お節介で小言ばかり言う」人だった、となるでしょう。

 この、
「私が黙っていても、ぐいぐいと、引っ張ってほしい」
 というのは、
「私が黙っていても、指示してほしい。命令してほしい」
 と同じことです。

 肯定的に流れれば、「頼りがいがある」。
 だけれども、
 否定的に流れれば、「口うるさい。お節介」
 ということになるんです。

 さらにまた、実は、この「頼りたい」も「頼られたい」も、根っこは同じなんですね。

●つまり、「(私が)頼りたい」としたら「(僕も)頼りたい」なんです。

 だから二人は磁石のように引かれ合う。

 私も僕も「甘えたい、頼りたい」というのは、お互いに依存し合って、べったりしていたい。
 そんな二人が一緒になれば、24時間、お互いに「その願望を満たさんがために」、干渉し合うことになるでしょう。

 これが肯定的に叶えばまだいいんですが、自分の無意識が否定的だと、そうはならない。

 顕在意識では、愛されたいと思う。
 ところが、無意識のところでは、
「私(僕)は愛される価値がない」
 と信じてる。

 不思議なんですが、「愛される価値がない」と思っている人は、愛されたとしても、「私が愛されるなんて、ウソだ」なんて思ってしまいます。

 どんなに顕在意識で「頼りがいのある人がほしい」と望んだとしても、自分自身に対する評価が、
「どうせ、私なんて、愛される価値なんてない」
 などと信じていれば、愛されても「ウソだ」と思う。
 だから愛されている満足感は味わわない。

 それでいて「甘えたい、頼りたい」と思えば、当然のことながら、
「口うるさく干渉したり、指図して小言ばかり言う」人が、ぐいぐいと、「愛なんて感じられない」苦しいほうへと引っ張っていってくれる、ということになるのです。(つづく)