誰かに頼りたい、甘えたい(3)
では、ほんとうに「甘えていたい。頼っていたい」という願いを叶えてくれる頼りになる男性が存在するとしたら、どういうふうになるでしょうか。
そんな男性が、実際に自分の願いを叶えてくれたとしても、多分、その女性は、感謝しないでしょう。
なぜなら、努力しても努力しても「満たしてくれない」ほうを見るからです。
「誰かに頼りたい。甘えたい」
これは愛の渇望感です。
渇望感であり欠乏感です。
心の中が渇望感や欠乏感で占められているとしたら、「幸せを実感する」余地がありません。
だから、どんなに男が「満たしてあげても」、女は「満たしてくれない」ほうを拾いあげては、「満たしてくれない。満たしてくれない」
という渇望感や欠乏感を抱くでしょう。
「いいえ、そんなことはありません。私の昔の恋人は、満たしてくれました。私だって、満足感を味わうことはできるんです。バカにしないでください」
もちろんです。
「あなたは、100パーセント、満足感を味わえない女性なんですね」
なんて言いません。
それでも、分量的には、渇望感や欠乏感のほうがはるかに多い。
だから、一時的に満足感を覚えることはあっても、すぐに、渇望感・欠乏感のほうに焦点を当てるでしょう。
では「頼りがいのある。甘えられる」男性のほうはどうでしょう。
僕はいつもいつも、彼女に頼りにされています。頼ってくれるのは嬉しいけれども、張り付いたように甘えられると、それを満たしてあげるのが、つらくなってしまいます。
ときには、「そんなことぐらい、自分でやれよ。どうしていつも、そんなに頼ってばかりいるんだよ」という気持ちになって、うんざりします。
でもそれを言うと、傷つけてしまいそうなので、つい我慢してしまいます。
たまに会うんだったら、それなりに「頼りがいのある男」を演じることはできます。
でも、これを24時間要求されるとしたら、考えるだけで憂鬱になってしまいます。
「どこにいたの。誰といたの。いつ帰るの」
なんて。
どこかで息抜きがほしい。
「ああしてほしい。こうしてほしい。黙っていても(察知して)やってほしい」
あーあ、僕は、自由がほしい。
最近は、僕を自由にさせてくれて、自立していて、はっきりものを言う女性のほうに魅力を感じはじめています。(つづく)