「相手のため」と「自分のため」1

 あるコミュニケーション事務所から、こんなメールが届いた。

 要約すると、
「電車の中で、大口を開けて熟睡していた美女がいた。恥をかかせたくないので、起こしてあげたが、嫌な顔して睨まれた。大きな勇気を出して、大きなお世話をしてしまった」とあった。

 私も終点で居眠りしている人を起こしたり、シートに忘れ物をしている人に、よく声をかける。
 そのまま 、声をかけないときもある。
 どうするかは、そのときの自分の気分で決める。
 急いでいたり、私自身が気にならなかったら、そのままにしておく。そこで「罪悪感を覚えない」というのも、私のレッスンのひとつなんですね。

 ですから、こんな場面の場合は、自分中心心理学では、
・「その人に恥をかかせたくないから」という「相手のため」という発想はしない。
・「私がその人の姿を見ていると、気になるから、声をかける」という発想をする。

 自分自身が気になる、それを解消するため、という発想だ。
 飽くまでも「私自身の心の健全化のため」ということなんです。

 同じように見えて、実は違う。

 一般常識からすれば、「美女が相手が恥をかいては、可哀想」という見方が大勢なのかも知れない。
 ではその「相手のため」という考え方を、もう少し推し進めてみたい。

 まず「相手のため」という思いから行動すると、
「起こしてやったので、お礼を言ってもらいたい」
 といったふうに、相手の反応が気になる。
 “美女”だったら、これをきっかけに知り合いになったり、あわよくば恋愛に発展するなどの期待も、その中にあるかも知れない。
 
 相手の反応を期待するために、「嫌な顔して睨まれる」というふうに、相手が望ましい反応を返してこないと、自分の善意が踏みにじられ、いっそう傷つくことになる。他者中心であれば あるほど、傷つくことになる。

 さらに、ここで肝心だ。
 相手の反応を期待すると、むしろ「嫌な顔して睨まれる」結果になりやすい。

 なぜそうなるか。
 これが「関係性」である。
(信念そのものを塗り替えることも目標とする「即効性ワーク」では、こんなこまかな意識までも踏み込んでいます。) (つづく)