不幸でなければ許されない罪悪感(2)

「すぐには動かない状況」の中には、それに関わっている複数の人達の“無意識の同意”があると捉えます。
 相互に同意があるということは、有り体に言えば、それぞれにメリットがあるということです。もちろんこれは、無意識のメリットです。

 そこで起こっていることが、「すぐには解決できない、動かない状況」だとしたら、そこには、あなたの顕在意識では理解・把握できないところの理由があります。
 個人の理由。相手の理由。相互での理由。スパーネイチャー的に言えば、過去世の関わりもあるでしょう。

 そういったものを含めても「同意」があるのです。
 もちろん、そんな理由を「顕在意識」で把握することはできません。
 だから私は、あれこれ悩んでは自分を責めて罪悪感で苦しむよりは、その状況を受け入れたほうがいいと言うのです。

 自分を責めれば、それで終わってしまいます。
 というより、もともと「自分自身が、その状況を変えるつもりがない」ので、罪悪感で自分を責めて、それで動こうとしないのです。

 自分を責めることで、自分がやっていることを正当化できます。
 自分がやっていることに対して、自己弁護できます。
 自分を責めることで、少し安心することができます。
 自分だけでなく、人を責めたい気持ちももっています。

 タイトルにあるように、自分が幸福になることを許さないのが罪悪感です。
 それは、時代劇で長屋に住んでいる「武士は食わねど高楊枝と、生活を支える妻」というようなイメージがぴったりです。

 夫は仕官復活を目指しているけれども、なかなかそれが叶わない。
 内職したりしながら、夫を支える健気な妻。
 こんな健気な妻を理想とする古い男性も少なくありません。

 けれども、ほんとうにそうなのでしょうか。

 まず、妻は心の中で、どう思っているのか……。
・夫は、絶対的権威です。
・夫を愛しています。(二人は良くも悪くも一心同体です。)
・顕在意識では、夫に仕官の口が見つかるまで耐えようと覚悟しています。
・他方、夫を経済的に頼ることはできないので、私が働かなくっちゃと思っています。
・と思いつつも、私自身も仕事をする自信がありません。

 こんな状況のもとで、「妻が、まったく不満を抱かず、心から幸せな気持ちでいるかどうか」です。
・夫には武士として仕官する以外、仕事ができないとあきらめている。
・こんなふうに苦労するのは、夫に能力がないからだと、夫を責めたい気持ちがある。
・夫以外の誰か、心のよりどころがほしいと思っている。

 妻の心の中に、こんな気持ちが「まったくない」といえるでしょうか。まさに藤沢周平さんの世界です。

 さらに妻は、こんなふうに思う一方で、そんなふうに思う自分に対して、罪の意識も覚えます。
 時に、
「どうしてこんな夫と結婚したんだろう。いっそのこと、こんな夫、いなくなってしまえばいいのに」
 などと、復讐的な気持ちが湧いてきたら、そんな自分にすぐさま気づいて、
「なんて私は、おそろしいことを考えるのだろう。私は、なんてひどい妻なんだ」
 と「健気で心の美しい妻」は、いっそう自分を責めるでしょう。(つづく)