6年周期リズムは私の趣味だった(2)
6年周期リズムの探求は、私の趣味だった。だから、たま出版で一冊本を出した程度で、むしろ、それほど売れなくて良かったと思っているくらいだった。
とは言え、「意識の法則」と「6年周期リズム」を把握していたほうが、はるかに生きやすい。
にもかかわらず、どうして私が6年周期のリズムについて、これまで多く語らなかったのか。
それは、ひとつは、
単に6年周期を盲目的に信じてほしくなかったからである。
「意識の法則」にせよ、いまでこそ、多少、世間に受容されつつあるのかも知れないが、未だ「まだまだ」という感は否めない。
「意識の法則」までは、「まあ、そういったことがあるかも知れないな」と半信半疑でも、この6年周期までくると、うさん臭くて「眉唾もんだ」と疑う人も少なくないだろう。
それに、心理療法と占術等の運命鑑定とでは、同じ液体ではあっても、水と油のように異種・異質である。
カウンセリングにおいては、カウンセラーが一方的に、御託宣のように、相談者に言い渡すことはない。
しかし、運命鑑定は、時として、鑑定という名の元に、あたかも神のお告げでもあるかのように、人の運命を断定的に言い切ったりする。
これは相手の人生に、土足で踏み込むようなものである。
自分中心心理学が、そんな占術等の運命鑑定と混同されるのを恐れてもいた。
だから、身近な人で興味のある人にしか話さなかった。
こんな運命鑑定の類いで、私が最も恐れるのは、前記したように、他力本願になって、それらに依存してしまうことだ。
宗教であろうが占いであろうが、“主体”は常に自分自身である。
それを忘れてしまうと、「自分中心」からどんどん離れていってしまう。むろん、6年周期リズムも、一歩間違えれば本来の目的から大きく逸脱してしまうだろう。
過去においても現在においても、私にとっては、「意識の法則」にしろ「6年周期リズム」にしろ、どちらも矛盾なく存在していたし、存在している。
でもそれは、心理療法に携わるまでは、飽くまでも個人の見解・意見に過ぎなかった。
それが私個人の意見だけでなくて、多くの人にも通用すると次第に確信を持っていったのは、カウンセリングやセミナーで、多くの人たちの人生に触れさせて頂いたからだった。
それでも、まだ、自分が納得すれば趣味のままでいいと思っていた。
ところが、世の趨勢は、私の願いに反して、いっそう依存的、支配的になっていく。しかも上下関係で信頼し合うより、「他者中心」で争い合うような依存性である。
私の願いより、危惧感のほうが実現していく。
もしそうだとしたら、その流れを受け入れて、その波の中で、自分中心を語ってみたくなった。
だから、オールイズワンとは別に、6年周期リズム診断を中心にした合同会社オールイズワンJPを、立ち上げた。
宗教であろうが占術であろうが6年周期リズムであろうが、常に“主体”は自分自身である。
いつもいつも言っているように、「意志(意識・実感)」が物質を創造する源泉である。
これは、私にとっては真実である。
自分中心心理学、意識の法則、6年周期リズムでさえも、それを、私自身が確認するための材料となるものだと、私は自覚しながら、やっている。
だから、毎日が、その確認の作業でもあるし、だからこそ、この活動が続くのだとも思う。
それらをさらに統合させてみたいという欲求があるから、続けられる。
余談だが、最近、カウンセリングの場で、自分の無意識を自覚する人が増えてきた。自分自身を直視すればするほど、中に封じ込められていた無意識が浮上する。
自分を直視できるようになるには、「自分を責めない」ことが必須である。
“自分中心心理学”身辺で、この「自分を責めない」という意識が拡がっているのは、最近の私にとって、うれしいことの一つである。(終わり)