自分を語っている(1)

 コートのボタンが外れたので、久しぶりに、近所の手芸店に行った。
 地域の中で、どうにか生き残っている感じの小さな商店である。

 特殊な形のボタンだから、店頭に並んでいるものでは見当たらない。
 ちょっと奥を覗くと、店主とその奥さんと、客らしき人が、事務机を囲んで話し込んでいて、私に気づかない。
 3人とも、年配の方々である。

 話題になっているのは、まあ、定番だ。
 最近の若い母親は、どうしようもない。子供が店の中で走っていても、注意もしないどころか、旦那に子供を任せて「あんたやってよ」ってな調子で、しゃあしゃあと食事をしている。
 こっちが注意しても面倒を見てやっても、「申し訳ありません」も「ありがとう」も言わない。

 「まったく礼儀も躾もなっていない」というところだろう。

 もちろん口調は、怒り口調である。

 そんな類いの話を熱心にしていて、客の私に気づかない。
 彼らは、私が立っている位置から、背を向けてる。

「あのー、ボタンの種類はこれだけですか」
 すると店主らしき人が答えた。
「そうですね。そこにあるだけです」

 話に夢中(?)なあまり、客の私に尻を向けて、一人として振り向きもしない。

 私自身は、放っておかれたほうがゆっくり探せるから、気にもならない。むしろ、可笑しかった。

 そのとき私はちょうど、
「自分が相手に対して不満に思って人を批判したり文句を言っているとき、実は、自分自身が同じことを、相手にしている。だからそれは、自分を語っているのと同じことだ」
 といったことを、似たようなケースを思い浮かべながら考えていたからだった。
 それをしっかりと、彼らは証明してくれた。私の考えていることを、状況が証明してくれる。(こんなことは、しょっちゅう起こる。)

 確信をもって言う。
 不満に思って相手を責めているときは、その自分自身が、同じことを無自覚に相手にしている、と。(つづく)