焦点を絞る(2)
感覚・気分・感情のほうに焦点が当たっていないと、すべてがつまらない。
「今日もまた、一日、無駄に過ごしてしまった」
などと思考する。
同じことの繰り返しを「つまらない、退屈だ」と感じているときは、思考で捉えている。
それが高じれば、生きていることすら「何のために生きてるんだ」というふうに、さらに思考に嵌まって悩むことになるだろう。
自分がいま、どんな感情を抱き、それをどう感じているか。
そのことに対して、どれだけ自分の意識がそれを「受け入れているか」等々。
1パーセント、0.1パーセントの違いさえ感じるだろう。
「不安や焦り」といったものでも、ミクロ単位の差に焦点を当てれば、その“1パーセント、0.1パーセントの差”を感じることもできる。
感覚・気分・感情のほうに焦点が当たると、
「以前よりは、ほんのちょっとかも知れないけれども、焦りが減った」
「さっきよりも、今のほうが焦っていない」
などといったミクロの違いの「軽さ。気持ちよさ」を味わうことができるだろう。
感覚のセッションでやっているのだが、自分の身体のどこに緊張があるか。どこがリラックスしているか。
ある部分は緊張しているけれども、ある部分は弛緩している。といったふうに、弛緩と緊張だけでも、レッスンになる。
呼吸でも、声の出し方でもそうである。
病気で入院したというメールをいただいた。
ついつい病気になると、焦りや不安、あるいは自分を責めたりしがちである。
けれども、こんなときこそ、自分自身が、どれだけその状態であることにOKを出せるか。
自分中心になって自分の心を注視すれば、その割合が解るはずである。
「自分を守るために、病気になった。それは必要だった」
というふうに、自分にOKを出せる割合が高いほど、心も身体もリラックスする。
病気のことはさておき、焦点を絞り、自分中心になって、そんな「ミクロの差」の違いを感じることができれば、継続できる。
同じことの繰り返しは、確かに外目には地味である。
しかしそれは外目だけであって、感覚、気分、感情の感じ方のほうに焦点をあてると、同じことであっても、一分、一秒で変化する。
好きなことに焦点を絞ると、そんなミクロの差に楽しさ・嬉しさを感じるようになる。
だから継続“したくなる”。
地味に見えても、自分の感覚の世界では、まったく地味ではない。
好きなことに焦点を絞って、それを幹にして、そんな感覚を楽しんだほうが、才能も伸びる。
自分の好きなものが、まだ、幹になっていないとしたら、幹を育てつづければいい。
継続できれば、樹木は大きく育つ。
仕事でいえば、本業(やりたいもの)よりも、副業のほうが忙しいかも知れない。それでも、本業としたいことを、副業的にやり続ければ、やがて、それが本業となる。
幹ができると、不思議だが、「あれもやりたい。これもやりたい」を経験するチャンスが巡ってくる。
どういうことか。
イチローさんの番組を見た後で、(当たり前のように、共時性で)イチローさんの料理姿を眼にした。
例えば彼が、野球も好きだが料理も得意とする。
焦点を絞って幹を育てていけば、料理を披露するチャンスや料理で本を出すチャンスも巡ってくる。
「意識の法則」から言うと、それは「ミクロの感覚」を“楽しみ味わう”意識が、そんなチャンスを引き寄せるのである。
だから焦点を絞ってミクロの感覚の差を味わうことができれば、その道での才能は、勝手に伸びる。(終わり)