「隙間家具」人生(1)
いきなり会おうと言ってきた恋人のために、友達との約束を反故にする。
逆に、仕事の付き合いのために、恋人との約束をドタキャンする。
こんな例を本に書いたことがある。
恋人を優先する人、仕事を優先する人、という見方をすると、違うタイプの人のように見えるかも知れない。
が、特定の相手のために、人を犠牲にする、という点では、どちらも同じだと言える。
「自分中心って、好きなことを優先するってことでしょう。だったら、友達より恋人のほうが大事だから、自分中心のやり方じゃないんですか」
もちろん「自分中心」では、自分の感情を優先しましょうと言う。
けれども同時に「選択の責任」というのも重視する。
これは、“愛の基本”ともなるべきものである。
この点でいえば「友達との約束を反故にした」「恋人を後回しにした」ことへの“責任”が残る。
この「責任」を無視しての「自分中心」はあり得ない。
「責任」という言葉を遣うと重いと感じる人もいるだろうから……
「友達との約束を反故にした」「恋人を後回しにした」という場合、自分の気持ちはどうだろうか。
すっきりと、気持ちよく「恋人を選択した」「仕事のほうを優先した」と言い切れるだろうか。
例えば、
「だって、仕事なんだから、仕方がないだろう」
という言い方をするとしたら、すでに“すっきりと、気持ちよく”とは思っていない、という意識がその言い方に現れている。
めったにない程度のレベルならいいが、パターンになっていれば、知らずのうちに、繰り返しているはずだ。
それを繰り返していると、そのマイナスの想いが、お互いに蓄積されていき、やがてそれが、争いの種となる。
論理的に考えていけば、当然、未来はそうなっていく。
それでも、そうしてしまう自分をやめられない。
それはなぜか。(つづく)