私の浄化月

 さすがに年の浄化期は、自分に起こっていることを注意深く観察するものの、月の浄化期は、自分で6年周期リズムを唱えておきながら、それほど気にしているわけではない。

 ただ、何が起こるかについては、最近、6年周期リズムを前面に言うようになってきてからは、自分のパターンを確認したり、パターンの確信度や精度を高めるために、より自分を観察するようにはなっている。

 面白いことだけれども、今月の浄化月は、ほとんどが心理的摩擦ではなくて、金銭にまつわることばかりだった。

 もっと正確に言うと、「管理」の問題が問われる事ばかりが起きた。
 私自身がもっとも苦手とする分野である。

 私自身は、感情脳タイプである。

 しかも面白いことに、「犠牲者」パターンだと信じているので、どちらかと言えば「損する」ほうを選ぶ。
 客観的に見ても、「得する」よりも「損する」ほうを選びがちである。

 犠牲者は、罪悪感が強い。
 得して罪悪感を抱くより、まだ、自分が損するほうを選んだほうが、気が楽である。だから、起こっている現象には納得する。

 しかも、幸いなことにトータルでは損をしていない。
 犠牲者でも、損をしないでいることは、できるのだ。

 ところが、「自分は犠牲者」だと信じている(飽くまでも現在の状態は)暴君者の女性から、
「石原先生は、暴君者ですね」
 と言われた。
 
 一つは、彼女自身が、かつての犠牲者から、ま、自覚はなくても、やっていることは暴君者になっている。
 まさに彼女は、自分のことを語っていた……。
 だからこれも真実の一端である。

 では私が暴君者ではないかというと、そうでもない。

 同じ犠牲者タイプでも、脳幹がしっかりしている犠牲者もいれば、人間脳に偏っている犠牲者もいるし、生命力に乏しい犠牲者もいる。

 どちらかといえば、私は脳幹が乏しいほうである。

 去年あたりから、脳幹を磨こうと思うようになった。
 “磨く”といっても、「意識するようになった」という程度である。
 脳幹を磨くレッスンをしながら、多少、意識していると、明らかに「脳幹意識」を感じることができる。

 嗜好するものにも、変化が顕われる。

 脳幹は“物質”に作用する。
 だから、先月・今月の浄化月が、“物質”に影響するのは、当然のことだった。

 そして私のもっとも弱点とする「管理面」が、公私両面でつぎつぎにあらわになった。

 (もっとも、関係する皆さんの大半が協力的だったので、とても助かっている。感謝!)

 しかも「意識の法則」に従うと、浄化期に起こっていることは、「未来への飛躍のため」である。

 こんなふうに「自分中心」でいると、物事は、すべて「自分のために起こしている」とわかる。
(信じられない人は、見方によっては「自分のために起こっている」というふうにも解釈できるんだ、程度でもいいと思う。)