戦っても戦っても、どうにもならない(2)

 前回の「戦っても戦っても、どうにもならない」意識が父親だとしたときの、その妻(母親)と息子の関係の一例である。

 ある母親が、こんなふうに自分の子供を自慢した。
「あの子は、小さい頃から、ニコニコしていて、とてもいい子でした。けれども、一度言い出したら、もう、絶対に、きかない子だったんですよ」
 しかも、
「『ハイハイ』と気持ち良い返事をしながら、自分を通すんです」
 と、その母親は、わが子はとてもいい子で意志も強いと言いたいらしかった。

 母親の印象と、息子の実像とは、全く違っていた。

 その息子は、相手が赤の他人のときは、正面から主張するというより、喧嘩を売って歩くように攻撃的である。
 特に相手に非があるときは容赦しない。
 日ごろのうっぷんを、ここぞとばかりにぶつける。

 そのうっぷんが、実は、自分の母にあることを、本人は自覚していない。

 息子は、敵に対しては攻撃できる。
 しかし味方(身内)には、正面から主張できない。

 それは、息子が、主張することは、相手を傷つけることだと信じていたからだった。
 特に母親に対して。

 主張すると、母親を傷つける。

 だから息子は、母親を傷つけないために、「ハイハイ」と返事しながら、ニコニコと“自分を通していた”のだった。

 母親は、人に何か言われると、自分を否定したり、反対されているように聞こえて、傷つく。
 だから、母親自身も自己表現を我慢している(つもりでいる)。

 その我慢している恨みつらみが、子供たちへの愚痴となる。

 恨みつらみだから、その言い方も湿っぽく嫌みっぽい。

 どうして息子がそうなったか。
 その母親を見て、合点がいった。

 とにかく、子供たちの生き方に干渉していく。

 相手のことまで干渉し、くどく、しつこく介入する。
 たとえて言うなら、息子が出勤するとき、履くべき靴を選び、さらに右足から通すか左足から通すかまで指示する。

 心配してくれるんだからと思うと、息子は拒否できない。
 あからさまに拒否するとむろん母親は傷つく。
 だから、ハイハイとニコニコしながら、我を通すことになる。

 息子の自己表現は、母親(味方)には何も言わず、他人(敵)は攻撃する。

 だから他人(敵)とはうまくいかず、衝突する。

 けれども「自分たちは仲がいい」と信じている親子にとっては、「悪いのは〇〇だ」と他人のせいになる。

 前回のような親子関係が、こんな一見“親孝行、子孝行”親子をつくる。

 多かれ少なかれ、日本の親子は、こんな傾向がある。(終わり)