追い詰められなければ成長しない?(1)
「自分中心心理学」では、自分の人生で、とんでもないことが起こるのは、本質のところで、自分が変わりたい、その問題に対して、クリアーしたいという欲求があるからだ、という捉え方をする。
だから、自分が自覚して、変わろうとしない限り、それは追いかけてくる、と。
言動パターンの視点から考えても、あなたのそのやり方が、結果として“悪い結果”になるとしたら、その言動パターンは、間違っているといえる。
子供から次第に成長して大人になっていけば、自分の行動範囲も広がっていく。有形的なものでいえば、動かす資金も時間も規模も大きくなっていく。
もし、自分のそのやり方が間違っていたとしても、最初は、規模が小さいので気づかない。
けれどもそのパターンが変わらなければ、動かすものが大きくなっていくにつれて、間違ったパターンの結果も、エスカレートしていく。
しばしば、人は、自分が間違ったパターンで動いていても、それが小さいうちには気づかない。
大きくなってから、ようやく気づく。
それでも、
「まだ、いいだろう」
とためらい、何度もやり過ごしているうちに、そもそも、そのパターンは間違っているのだから、最終的には追い詰められていく。
(無意識のところでは、それを修正したい、改善したいと願っているのだから、それが繰り返し起こるのは、当然のことである。)
多くの人が、追い詰められなければ、変わろうしない。
追い詰められてようやく、動く。
無意識の点から言えば、だから、「動くために大きな出来事が起こる」。
使い回しで廃業に追い込まれてしまった「吉兆」の問題もそうだろう。
追い詰められるまで、動こうとしない。
だから、とんでもないことが起こる。
中国の地震でも、建物の手抜き建設が大きく報道された。天変地異が起こったとしても、被害の規模が大きくなるのは、人災に因るところが少なくない。
日本では食糧問題もその一つ。
“食”の多くを輸入に頼っている我が国は、どうするのか。
過去において、どんどん自給自足率を低くする政策をとっていったとき、今日のようなことが起こるのは、予測できたはずだった。
意識エネルギーという点でいえば、人災も天変地異も等価である。
意識が荒れれば、荒れたことが起こる。
それが改善されなければ、エスカレートしていく。
だから、個人においても社会全般においても、もう、そろそろ、「追い詰められなければ、変わろうとしない」という激しいパターンは、やめにできないものだろうか。
「でも、こうなってしまったものを、自分一人ぐらいの力では、どうこうできるもんでもないし……。自分の非力さを思い知らされるばかりですよ」
ほら、そこそこ。
まさにその発想。(つづく)