追い詰められなければ成長しない?(2)

 意識が荒れれば、荒れたことが起こる。
 それが改善されなければ、エスカレートしていく。

 だから、個人においても社会全般においても、もう、そろそろ、
「追い詰められなければ、変わろうとしない」という激しいパターンは、やめにできないものだろうか。

「でも、こうなってしまったものを、自分一人ぐらいの力では、どうこうできるもんでもないし……。自分の非力さを思い知らされるばかりですよ」

 ほら、そこそこ。
 まさにその発想。
「それが犠牲者意識です!」

 そんな意識がひな型となって、現象が起こる……。

 ところで……、

 うれしいことに、自分中心心理学を学んだあとも、自分の立つ位置を確認するために、継続してカウンセリングを受ける人が増えてきた。
 そんな人たちは、問題が発生して、というよりは、「より才能を生かす。伸ばすために。うまくいくために」という動機で受ける。

 「悩みが解決したら終わり」ではなくて、「自分の能力を伸ばすため、より楽に生きるため」に自分中心の発想を応用し、活用する。

 私の望む自分中心心理学の在り方が、ほんとうに少しずつ、少しずつだが、実現してきている。

 例えば、人間関係で問題が起きたとき、自分中心の発想を知らなければ……、
「相手が悪くて、私は善い人。
 明らかに問題があるのは相手のほうなのに、悪人の相手が変わる必要はなくて、どうして善人の私が変わらなければならないんですか」
 といった意識で相談する。

 自分中心の発想を学んだ後は、「関係性」ということが理解できていて、
「どうしても、私はあの人が苦手です。相手が私に嫌がらせをするだけでなく、私自身も、嫌いだから、気づかずに、仕返ししていると思います。どういう発想をすれば、こんな人間関係を改善できるでしょうか」
 といったような表現になる。

 前者のような意識を抱き続けるか、後者のような発想をして自分を育てていくか。

 この「関係性」に気づかない前者の場合は、問題が起こるたびに「被害者意識」を募らせていくだろう。

 この「関係性」という仕組みを知っているだけでも、被害者意識は軽減される。

 現象が形として現れる前に、ひな型としての意識がある。

 これを前提とするなら、前者の発想をする人が増えるか、後者の発想をする人が増えるかで、未来はまったく違ったものとなる。

 後者の人が家庭にいれば、家庭の状況を変えることができる。
 後者の人が職場にいれば、職場の状況を変えることができる。

 こんなふうに私たち一人一人の存在は大きい。
 決して、無力ではない。

 この前テレビで、「ナットウ菌で汚水を浄化する」技術を発明した人が紹介されていた。
 汚染された水を飲み水としている地域の人々にとっては、福音である。彼が地球(の一部)を救う。彼は、ボランティアの方向性も示唆していた。
 
 それぞれの分野で、彼のように努力している人たちを眼にするにつけ、感謝とともに、未来に希望の光を見いだす。
 
 そんな人たちも、淡々と、自分のできることを地道に続けているだけである。

 大上段に構えて、意識の変革を叫ぶことはない。
 あなたが自分中心になって「楽になる。幸せになる」ことが、すなわち、社会貢献だ。(終わり)