取り返しのつく人(2)

 できるだけ、傷つかない生き方をしたい。

 どうすれば……。

 それには、
 「話し合える人」と付き合う。
 「話し合えない人」とは、付き合わない。

 例えば、「話し合える人」というのは、「詫び合える人」ということでもあるだろう。

 詫び合える人というのは、「許し合える人」でもある。

 「話し合えない」人は、一度争うと、修復がむずかしい。
 そこで縁が切れてしまう。
 日頃から我慢している人ほど、そうなりやすいだろう。
 
 言うまでもなく、「話し合う」には、お互いに、詫びる気持ち、許す気持ちが必須である。

 そこで親しくできる人か、そうでない人かが、決まる。

 さらに、どんな相手を選ぶか。
 その「決定権」は自分自身にあると、自覚してほしい。

 もし争ったことで絶交してしまうとしたら、もともと、そういう関係だったと言える。あるいは、相手のほうも、無意識に、そろそろ別れたいなと思っていた。
 自分中心心理学では、そんなふうに解釈する。

 だから、詫び合える人、許し合える人と親しくなっていきたい。

 争っても、取り返しのつく相手と付き合っていたい。

 そんな相手と親しくできれば、「傷つけ合う」ことを過剰に考える
必要がなくなっていく。
 お互いに取り返しがつくと信じていられるから、問題が起きそうになったら、早めに、その問題と向き合うことができるだろう。

 例えば、取り返しのつく相手なら、
「あ、その言い方って、傷つくなあ」
「そうか、ごめんごめん」
 で終わる。

 取り返しがつかない関係だとしたら、取り返しがつかないと思うからこそ、
 「その言い方って、傷つくなあ」を我慢する。
 このことを、ずっと引きずる。
 言いたいけれども、我慢。
 思い出すたびに、マイナス感情が大きくなっていく。
 ある日、似たようないくつかの別件も合併させて、
「どうして〇〇〇!!」
 と、攻撃的な口調で主張する。
 それが決定的となる。

 相手に気に入られるかどうか、という発想で付き合う相手とは、話し合いにくい。

 付き合う人を、こんなふうに「話し合えるかどうか」を基準にしていけば、残るのは、自分にとっても相手にとっても「居心地のいい」相手となっていく。

 無理に、嫌な相手と「いい顔」をして付き合って、争い合っているよりは、自分で「居心地のいい相手」を“選別”することは、決して悪いことではない。

 「なかなかむずかしい」と思う人もいるだろう。
 そうであっても、自分自身がどこに基準を置くかは、自分で決められる。
 いつでも、少しずつなら、できるはずである。
(終わり)