いつでもできる

 家族や恋人、親子など、親しい人を、ついつい、後回しにしがちである。
 本当は、親しい人だからこそ、優先してほしいと思うのだが。

(ただし、この親しい人を優先するというのは、決して、自分を犠牲にしたり、自分を傷つけることになるにもかかわらず、親しい人を優先するという意味ではない。)

 特に「いつでも会える人」に対しては、いつでも会える、いつでも埋め合わせができるという安易な気持ちになりがちである。

 妻とはいつでも、一緒に出掛けることができるから。
 家族とは、また、今度にすればいいから。
 恋人は、自分のことをわかってくれるから。

 それよりも、いまの仕事のほうが大事だから、客のほうが大事だから、といった理由で。

 ある女性は、こんなふうに夫に言われた。
「順番で言えば、君の親より、俺の親のほうが歳をとっていて先に死ぬから、俺の親のほうを優先するよ」
 彼女は夫と争いになるのを恐れて、夫の言い分に従い、めったに里帰りすることもなかった。
 ところが、結局、順番通りにはいかなかった。
 自分の両親のほうがともに、夫の両親よりも先に亡くなってしまったのだった。

 夫のこんな言葉を信じている妻もいる。
「母が元気なうちは、二人で旅行なんて、できないよ。どうせ親のほうが早く死ぬんだから、その後で、ゆっくり二人で旅行したり温泉に行ったりして、のんびりすればいいじゃないか」

 こんな理由で妻を後回しにするのは、実は、その裏に、他人(妻も他人)と一緒にいると息苦しい。妻とは、どう付き合ったらいいかわからない、という思いが潜んでいる。
 他人と向き合うことができないために、今の家族ではなく元家族の人々と一緒にいたほうが、気が楽なのだ。
 だから、ついつい、理由をつけて、そこに逃げ込む。

 夫に限らず、こんな人が「親しい人」を後回しにする。
 要するに、相手との関係を直視できない人たちである。
 だから、仮に両親が死んだとしても、
「さあ、これから二人きりだから、仲良くするぞ」
 なんて頭で考えたとしても、実際にはうまくいかない。

 そもそも、対等な関係として他人とはうまく一緒にいることができないのだから、二人が仲良くするための障害がすべてなくなったとしても、二人では仲良くはできない。

 もっとも、そんなときには、相手の心のほうが、とっくに離れてしまっているだろう。

 もし、そんな関係で「仲良く」を妻に求めるとしても、それは、
「夫婦としての二人」ではなく、妻を母親とする「疑似親子」であるだろう。

 夫婦限定で言えば、親やペットや子供など、第三者がバランスをとっていて、まあどうにか表面的にうまくいっているように見えていただけだから、いよいよ、二人向き合うということになれば、逆に、長い年月、二人で向き合っていない自分を発見するだけだろう。

 将来「仲良くし合う」には、「いつでもできること」をこそ後回しにしないで、「いま、する」ことである。

 この「いま、する」は、すべてのことに通じる。