自らを危険に晒す

 電車やバスの中で化粧する人が、少なくなってはいるものの、まだ、よく見かける。

 まあ、化粧するのは、「選択の責任」でいえば自由だから、かまわない、とする。
 仮に気になっていたとしても、それを批判的な気持ちでみたり、注意したりすれば、逆効果となる可能性も高い。
(もっとも最近は、そんな場面に出くわしても、当たり前の光景となっているんだろう。)

 周囲が否定的な気持ちを抱いていると感じていても、なお否定的なことをするのは、無意識の中に、仕返しの気持ちが潜んでいるからである。
 仕返しの気持ちを抱いている人に対して、さらに批判的な気持ちで注意すれば、その人は、やめるどころか、いっそう仕返しをしたくなるだろう。

 この前も、混雑している電車の中で、吊り革につかまりながら、おもむろに、バッグから大きな鏡を出して、化粧しはじめた女性を見かけた。

 当たり前の光景であるかも知れないけれども、少々驚くのは、眼にラインをいれたり、マスカラを塗ったりしている場面である。

 いずれも、それはステック状だ。

 それが気にかかる。

 いま、こんなとき、電車やバスが大きく揺れたら。
 急ブレーキがかかったら。
 いきなり、地震が起こったら。

 口紅なら、口の周りがその紅の色で染まるぐらいで、まあ、ご愛嬌といえる。
 しかし、もし、ステック状のものが眼に突き刺さったら……。
 なんて、つい、ホラーの世界を想像してしまう。

 私には、“そんな可能性を予測できない?”ことが不思議に思える。
 自分だけは、そんな惨事に遭遇するはずがない、と信じている?
 というより「はずがない」という危機感すらない、と映る。

 感情脳(大脳辺縁系)には扁桃体という箇所がある。
 そこは、危険を察知する機能を備えた脳である。まさに危機管理の脳である。
 扁桃体が退縮すると、危険の予測がしにくくなる。

 まして、最近では人間脳タイプが増えている。
 この人間脳タイプは、危険に遭遇すると、反射的にそれを避けようとするよりも、身体が「フリーズしてしまう」。
(人間脳タイプ、感情脳タイプ、脳幹タイプによって、危険の避け方も異なってくる。)

 危機管理というのは、感情脳と運動機能の脳が連携していて初めて活発に機能するのではなかろうか。

 それが育っていないし、つながっていない。

 だから、危険を察知できないだけでなく、危険が迫っていても、それを回避する機能が働かずに、フリーズしてしまう。

 奇妙なことに、そんな人たちほど、勝ち負けに強くこだわっていて、「逃げたら負けだ」という意識から、恐怖を抱きながらも、そこに踏ん張ろうとする。

 普段から、「動かない」パターンが身に染みている。

 そんな人が、突発的な事件、事故、危険な出来事に出くわしたとしたら、危険な状況に晒される確率は、確実に高くなる。

 ばかりか、「その瞬間」が危険かどうかの判断力も乏しいために、自分に危険が迫っていても、気づかないのではなかろうか。

 感情脳が育っていないと、こんなふうに、自ら“危険な眼”に遭う確率を高くしていく。

 しかも、多分そんな人は、事故や危険な出来事に遭いやすいだけでなく、人間関係においても、自ら傷つくことを繰り返してるはずである。

 だから前記のように「無意識の仕返し」をしてしまうことになる、というふうに、自ら危険に遭う確率を高くする悪循環を生む。

 そして、それすらも「自分では気づかない」でやっていることのほうが、いっそう怖い。