あっ、これも受け入れるんですね
「自分中心になる」というと、イメージ的に、完全無欠で、聖人君子のごとく全人格的で、明鏡止水のように一点の曇りもない人をめざすというふうに思っていませんか。
もちろん、人類は、否応なく、すべての人が進化するにつれて、自分中心になっていくでしょう。
意識レベルの進化が、まさに、自分中心へのプロセスそのものだからです。
とはいえ、人類が一足飛びに自分中心になる、なんて、私自身、毛頭、思っていません。
なぜなら、より自分中心になっていくには、その前に、自分自身を受け入れていく作業があるからです。
セミナーを受講した後でお礼のメールをくださった方の文中に、
「シーンとした空気でつい緊張してしまい(思いっ切り他者中心!)」
こんな件(くだり)がありました。
そこで私は、こんなメールを返信しました。
『緊張するのが他者中心なのではありません。
緊張するのを自覚している。気づいているということは、自分中心です。
自分中心というのは、そんな自分に気づいて、それに、オーケーを出すことでもあるんです。
どんな自分でも気づく、それがすばらしいことなんですよ。』
また、別の人も、メールの中に「人を気にする自分が嫌だった」という言葉がありました。
人を気にしてしまうのは、当たり前のことです。
先ほどの「人前で緊張する」ことや、「人を気にする自分」を責めることも嫌うこともありません。
ただ、それに“気づく”。
気づいて「ああ、そうか、そんな自分がいるんだなあ」
とOKを出す。
自分に関心をもつと、こんなささやかなところでも、自分が、自分自身を受け入れていないことに気づくでしょう。
こんなところから、自分自身を受け入れるレッスンをしていただきたいものですね。