どっちに転んでも傷つける
自分の文章が、知らずに人を傷つけることがある。
それが「気づき」のひとつだった、とメールしてくださった人がいる。
その人から複数のメールをいただいたとき、私が率直に、その人の文章パターンについて感想を述べたことに対してのメールだった。
自分が「人を傷つける可能性がある」ことに、「なるほどなあ」という感じで受け止めるその人に、好感を覚えた。
素直な面をもっている人である。
ただし、私が本当に言いたかったことは、そうではなかった。
私が本当に伝えたかったのは……、
どんなに相手の顔色をうかがって一生懸命書いても、相手を傷つけまいと腐心して書いても、自分のフィルターを通す。
自分のフィルターが曇っていても、自分では気づかない。
一生懸命書いても、傷つけるときは、傷つける。
細心の注意を払っても、やっぱり傷つけてしまう。
無自覚にも、傷つけている。
とりわけ無意識は、正直だ。
どんなに、顕在意識で、相手を大事にしようしても、相手に対して何らかのこだわりがあれば、無自覚に、傷つける。
自分にとっては、無自覚のほうが、都合もいいから。
相手のことを気にしながら、一生懸命書いても傷つける。
相手のことを気にしなくても、何らかのこだわりがあれば、傷つける。
無意識に、傷つけるチャンスもつくる。
どっちに転んでも相手を傷つけてしまうのなら、自分の気持ちが楽になる文章を書いたほうがいい。
自分の気持ちのほうに焦点を当てて、まず、自分自身が楽になるための文章にする。
どうせ相手を傷つけてしまうものなら、
「自分自身が楽になるために」
あるいは、
「相手の反応はなくても、自分が手放せるようになるために」
これを目指したほうがいい。
私は、そういうことを言いたかったのである。
けれども、内省心の強いその人は、「自分が相手を傷つけてしまう」
ほうに、重点を置いてしまった……。
だから、紙面で伝えておきたい。
まず、楽になるために「自分の気持ちのほうを優先してほしい」ということを。
自分が楽になる文章を書くことができれば、相手を傷つける可能性も、次第に減っていく。
こっちのほうが、変わるのは、早い、とも伝えたい。