「治る。立ち直る」ってどういうこと?(2)

 この「私の願いを叶える」という点においては、それを叶えるのに邪魔な意識が、罪悪感です。

「罪悪感」は、それが大きければ大きいほど、あるいは多ければ多いほど、あなたは、「自分の願うもの」から遠ざかっていくでしょう。

 換言すると、無意識の視点からすれば、あなたが罪悪感を感じる通りの現実となっているでしょう。

 苦しい状況から、いま一歩のところで、抜け出せない人がいます。

 その人が意味する「治った」も、やっぱり、「働かなければならないので、働けるようになる」ことでした。
 
 でも、私には、「働かなければならない」と思い込んでいる間は、その人の意味する「治る」の状態にはならないことが、わかっていました。

 その人に、私は、こう言いました。
「治ったら、働かなければならない、と思っているから、治らないんじゃないでしょうか」

 まさに、その人は、そう思っていました。
 そして、「私は働きたくない」とも。

 だから、その人は、自分が望んだ通りに「仕事ができないレベルでの治った」が、達成されていました。

 たとえば、こんなとき、「治る」ということを達成するには、どうしたらいいでしょうか。
 それには、自分の願いを叶えてあげることです。

 この例でいえば、
・私は働きたくない。
・私は、生活が安定した暮らしがしたい。

 単純です。
 もし感情レベルで、自分の願いがこれだとしたら、そう願えばいいだけです。

 こんなふうに書いたとき、心から「なあんだ、そうだ!そうだ!」と、納得した人はいるでしょうか。
 もし、いるとしたら、その分だけ、罪悪感が少ないと言えるでしょう。

「そんな、ムシのいい願いなんて、叶うわけがない」
 と思った人はいませんか。

 あるいは、もっと、
「そんなムシのいい願いごとをするなんて、不心得者めッ」
 なんて、そんな願い方をすることに、罪悪感を抱いた人はいませんか。

 幸せになることに、罪悪感を覚えるということは、「私は幸せになってはいけない」と自分に言っているようなものです。

 こんなふうに、誰もが幸せを願いつつも、無意識のところでは、幸せになることを、自分に許していない私たちがいるのです。(おわり)