行動できない……(1)

 悩みが消えれば、どんどん活発に、やりたいことをやれる、と思い込んでいる人たちがいます。
 ほんとうにそうでしょうか。
 そんな一人に、こう訊きました。
「悩みがなくなったら、あなたは、何をしたいですか?」
「好きなことを、自由にやっていきたいんです」
 とおずおずと言いました。
「じゃあ、あなたの、好きなことは?」
 いっそう声がか細くなりました。
「悩みがなくなったら、探します」
 
 別バージョンです。
「あなたの好きなことは?」
「はい、あります」
「じゃあ、それをいま、やってるんですね」
「いえ、まだ、これをつづけていいのかなって、悩んでしまって。自信がないんですね。これでうまくいかなかったら、どうしようって」
「悩みながらでも、少しずつ、つづけていけば、どう?」
「でも、悩んでしまって、こんな気持ちでは……」
 どうでしょうか。また、振り出しにもどって、堂々巡りの袋小路と、「悩むのが好き」に行き着いてしまいましたね。

 そうやって、思考しては堂々巡りにはまるのは、ほんとうは、行動するのが怖いからです。
 では、どうして行動するのが怖いのでしょう。
「自信がないからです」
 なんて言えば、また、堂々巡りにはまっていきますね。

「自信がないって、どんなところに?」
「???? ぜんぶ……」
 ここで、行き詰まってしまいます。

 いくら、それを思考で解決しようとしても、無理なんです。
 他者中心に生きている人は、自分のことが見えていないので、なおさら、無理でしょう。

 ですから、ここで肝に銘じてほしいのは、「思考では解決しない」ということです。
 堂々巡りになっているときは、思考よりも、行動です。

 その行動も、他者中心的に「相手にそれをさせようとする行動」は、自分中心心理学で言うところの「行動」には、はいりません。
 飽くまでも、
・私自身のための行動です。
・私を愛するための行動です。
・私を解放するための行動です。
・私を守るための行動です。

「他者中心的」な行動は、相手も自分自身も傷つけていきます。
 最近、この他者中心的に、「自分の望みや恐れ」のために、他者を行動させようとして、家族全体が、もう、もつれて、もつれて、収拾のつかないような状況になって、「ここまで傷つけ合うのか」というほどに悲劇的なケースが増えていて、哀れで、涙が出るほどです。
 
 話を元にもどすと、そんなふうに「自分のために行動するのが怖い」。

 では、その「行動する恐れ」というのは、どこからくるのか。
 これが、問題ですね。(つづく)