自分中心心理学の自己表現は、未知の分野

 お伝えするのが遅くなったが、先月に開催した自己主張ワークは、私自身、さらに「第一の感情」をより深めた内容になったと思う。

 いつも言っているけれども、自分中心心理学の「第一の感情」で表現するというのは、まだまだ、未知の分野だ。

「I(私は)メッセージ」で表現しようとは、様々な心理学やセミナー等での定番だ。
 けれども、自分中心心理学でいうところの「一人称で表現する」は、「Iメッセージ」とも微妙に異なる。

 ひたすら感覚や実感を重視する。

 それは、その心地よい感覚や実感が、自分自身の解放をもたらすからだし、“表現”で、自分自身を愛することができるからである。
 前回の自己主張ワーク(自己表現ワーク)での私自身の収穫は、ワークを実施しながら、つくづく「自分が遣う言葉」も、「信念」の部分から、自動的にチョイスされるのだと、痛感したことだった。

 たとえば、「焦りやイライラ」が感情の基盤になっていれば、それに即した言葉がチョイスされる。
 怒りが感情の基盤になっていれば、それに即した言葉がチョイスされる。
 憎しみや恨みやあきらめや、その他もろもろの感情が基盤になっていれば、それに即した言葉になっていく。

 相手が「怒ってないよ」と言ったとしても、その言い方がいつも感情的になっていたら、自覚していなくても、根っこの部分で「いらだちや怒りを握りしめている」。

 どんなに「Iメッセージ」を遣っても、信念の部分に支配的な要素があれば、その意識が言葉をチョイスするので、相手の心に響かない。
 どんなに慎重に「Iメッセージ」で伝えたつもりでも、その一連の言葉の中のどこかに、支配的な言語が、潜む。
 聞く人は、それを敏感にキャッチする。

 どこが違うのか。
 それは「表現する人」も、「それを聞く人」も、自分を中心にして、自分を感じると、わかる。

 表現する人にとっては、何よりも、自分自身が、満足できない。
 満足するというのは、解放だ。
 その満足は、自分に対する“愛”である。

 まずは、自分自身を愛するために、そんな言葉を遣ってみてほしい。
 携帯メールなんて、まさに、うってつけのレッスンだ。
 
 自分が選ぶ言葉を、感じながら、メール文章を作成してみてはどうだろう。
 
 どれだけ、自分の心と身体が、メールの言葉、言葉に反応しているか。
 それに、気づくだろう。
 できるだけ「私が心地よい文章」をめざす。
 それが、自分を愛することにつながる。