「イチローインタビュー」より 2

「争いに勝つ」が目標になれば、“争う”ことが無意識の生きがいとなるので、当然のことながら、愛も、お金も、経済的豊かさも、仕事も、能力も逃げていく。
 無意識に、他のものは犠牲にしてでも、“争い”が人生の最大の目標になるためだ。
 だから“争う”状況は、常にゲットできる。

 ところが彼は、最初から、「争わない」を選択できる。

 では、これらの条件を満たすために、彼は、どうしたか?    

 自分が納得して入部したのだから、組織のルールには従う。
 自分の練習時間を確保する。
 人と争うのはイヤ。

 彼は、この「条件を満たすためにどうすればいいか」という発想ができる人だ。
 むしろ、こういう能動的な発想をするほうが、人に意識が向かって、人にこだわったり囚われて他者中心になっていくのを防ぐことができる。

 自由時間に練習するために、毎日、午前3時に起きることにした。
 3時から5時まで、洗濯をして乾燥をすませる。5時から朝食の準備をする。
 そして、夕食から午後消灯11時までの自由時間を、練習に当てた。
 3年生になるまで、丸2年間、満足に寝られなかった。

 しかも、室内練習場は上級生が使っていたので、テニスコートや陸上トラックでランニングしたりした。
「争いたくない」という意識がここにも、あらわれている。

 心の中で戦うだけでも、人は疲弊していく。
 彼の中に、まったく不平不満がなかったとは言わないが、そんな環境を前提として、何が何でも環境を変えようとすることにエネルギーを費やさない。 その環境の中で、自分ができることに専念する。
 彼は、それを貫いている。

 彼のライフスタイルをみると、彼のこんな意識が、要所要所で、次の展開を飛躍的に好転させるきっかけとなっている。

「戦って勝つ」ことを好む人は、もっとごり押しすれば得をするのに、と思ってしまう場面のときでも、彼は、「争わない」を選択している。

 大半の人が「望むものを手に入れるためには、戦わなければならない」
 と信じているに違いない。
 けれども、私は、彼のライフスタイルを知って、「戦わない」ほうが“結果として勝つ”と、よりいっそう確信できた。
(これは、「楽あれば楽あり」の一形態でもある。)

“よりいっそう、確信できた”というこの経験的感覚は、私にとって、大きな内的成長だ。
 彼が、ピッチャーゴロの凡打で「感覚をつかんだ!」と言うにも似た、ミクロの感覚である。

 私個人の経験としても、そのときは退かざるを得ない状況があったとき、遠い未来の視点から過去を俯瞰すれば、それが、「より大きな実りをもたらす」ための起点となっていた、と知れるのだ。とりわけ、大きな展開を生む要所要所で、それが、私にも起こっている。

 もっとも、高校時代のこの時期はまだ、全体的な人生のパターンでいえば、「苦労するほうに向かう」という意識がある。だから、厳しい条件で野球をする高校を引き寄せた、とも言える。

 彼が“より自分中心になっていく”のは、こういったプロセスを経た結果だとわかる。

 彼に最初からその資質は十二分にあったとしても、彼も最初から、自分中心ではなかった。
 自分を磨きつつ、自分中心になっていくプロセスがある。
 まさに、「常に発展途上」。
 これが自分中心だ。(おわり)