罪悪感の正体は
自分を粗末に扱うほど、悩みは増えていきます。
自分を犠牲にする人ほど、周囲に悩みが続出します。
自分より、相手を愛そうとする人ほど、悩みの渦に巻き込まれていくでしょう。
なぜなら、悩みは、「自分を愛していない。自分の愛し方がわからない」ということを示すバロメーターだからです。
その理由が、「“つい悩んでしまう”がなくなるコツ」(すばる舎)を読めば、心から納得できるでしょう。
その最たるものが、罪悪感です。
罪悪感は、自分の感情を無視して「しなければならない」とあなたが自分に強制したり、義務だと思い込んでいるところから、起こります。
「したくないのに、しなければならない」「するのがつらいのに、しなければならない」
「でも、できない」……これが罪悪感の正体です。
例えば、こんな具合です。
部下Aは、職場で上司に「この仕事を、木曜日までに仕上げるように」
と指示された。
上司は、Aが仕上げた内容をたたき台にして、次の予定を立てていた。
木曜日になっても、Aは何も言ってこない。
「あれほど、木曜日までにと釘をさしておいたのに。あいつは、この前もそうだった。どうして、いつも、こうなんだ」
と苛立っている。
どんな進行具合かを把握しておかないと、次の予定からの見通しが立たない。戦略を成功させるには、「遅くなっても完成させればいい」というよりも、「日程の設定とその流れ」のほうが重要である。
これが、上司の視点である。
この状況を部下Aの視点からすると、
「木曜日までにと仕上げると答えたけれども、火曜日になってもまだ、半分も仕上がっていない。もしかしたら、木曜日にはできないかも知れない」
すでにその時点で、期限を守れそうにない自分を責めている。
さらにその気分で、
「もし、できていないと言ったら、どうなるだろう」
などと、上司にすごい剣幕で怒鳴られるシーンをイメージするので、いっそう不安になったり、そうなる状況を恐れる。
Aは、その怖さを回避しようとして、何とか木曜日に間に合わせようとして焦る。
ところが、そんなマイナス感情で作業に取り組むから、かえって、仕事が進まない。
案の定、木曜日にはできない。
けれども、怖くて「できなかった」とは言えない。
「金曜日には、仕上がりそうだ」
そこで、一日ぐらい遅くなっても「できているから、いいだろう」と甘い見通しを立てて、自分に納得させる。
結局、Aは上司に、
「どうして、連絡してこないんだ」
と、こっぴどく叱られる。
「できたんだから、そんなに叱らなくてもいいじゃないか」
と、部下は不満を抱く。
しかし上司が問題にしていたのは、「できない」ことよりも、期日を守らない。連絡してこない。(罪悪感から)ミスや失敗を隠そうとする。そんな部下への不信感と、次の見通しが立てられないことへの、不安や焦りだった。
というふうに、自分が悪いと「自分を責める」罪悪感から逃れようとして、かえって「責められるのが怖い。連絡しない。信用を失う」といった結果を招くことになる。
ささやかな場面では、こんなこともある。
夜中に起きてトイレに行くとき、物音を立てると、寝ている家人に悪い、という人がいた。
このとき、その人は、「まったく、こんな夜中に、なんでトイレに行くんだ」と、家人が自分を批判しているのではないか、などと考えながらトイレに立つと言う。
だから、気分的には、こっそりと、泥棒のような気持ちでトイレに行く。
まさに他者中心の思考である。
家人を気にしながら、「泥棒のようにこっそりと」。この意識が、自分の中に罪悪感を引き起こす。
たったこれだけで、罪悪感を積み重ねることになる。
他方、自分中心は。
「夜中に物音を立てると、相手が起きるのではないか。相手を起こしたくない」
だから「私は、物音を立てないように歩こう」と意志をもって、歩く。
このとき、私がトイレに行くことにはOKを出している。
私がすることを否定していない。
自分が夜中にトイレに行くことを肯定している。
自分が「夜中にトイレに立つ」ことを気持ちよく認めた上で、だから「静かに歩こう」と、意志をもって決める。
同じことをしていても、この場合は、罪悪感を抱かなくてすむ。
感覚的にも、このほうが、すっきりするはずである。