マイナスのコミュニケーション

物事に取りかかろうとする直前に、「○○やってもらえるかな」と言われると、「いま、やろうとしてたとこ!」「分かってるよ!うるさい」と、カチンとくることがあります。
 相手は、「あぁ、やってくれるの。よかった。ありがとね」とかなんとか言うのですが、私の耳には、バカにしたように聞こえます。
 相手がテクニックで言ってるのか、それとも私の耳が適切でない(否定的)のか、どうなんだろうと思いました。

 こんなところは、私と相手が表裏一体になっているのでしょうか?

 これも、Qさんからの質問です。
 不定期メールでも、マイナスのコミュニケーションの話をしています。
 すべての人が、感情で交流しています。
 しかも最近の傾向は、相手に親しみをもって、というよりは、相手と「勝ち負けを争って」という意識のほうが、より強くなっています。

 争って親しくなれるわけがないのに、争っていくのは、親しくなりたい思いより、「負けてしまうことへの恐怖」なのでしょうか。

 そんな目標から、無意識であっても、相手は自分が優位に立ちたい場面で、Qさんの例ように、突っ込んできます。

 ですから、これもマイナスの関わり方と言えるでしょう。
 それがひとつの(自分が優位に立ちたいための)コミュニケーションでもあるのです。

 例えば、あなたがこれから出かけようと立ち上がったときに、
「ああ、あれはどうすればよかったんだっけ」などと、それこそ、もっと早く言ってくれればいいのにと思う、絶妙なタイミングで、声を掛けてくる。

 あなたは、イライラしながらも、我慢してそれに従う。
 相手は、そうやって、あなたが拒否できないでいることに満足感を覚える。

 相手の目標は、マイナスのコミュニケーションで関わることです。
 それに対して、あなたが、イライラして相手に反応すればするほど、そのマイナスの関係は激化するでしょう。

 ですから、「こんなところは、私と相手が表裏一体になっているのでしょうか?」と考えたり、思い悩んだりすることもありません。

 自分の感情を中心にしたとき「あなたがイライラする」。そのイライラが、相手と私の関係を物語っています。

 このときあなたが、イライラして、相手に反応していけば、相手と同じ意識レベルで争っていくことになるでしょう。

 だから、自分の視点で言えば、発信源が相手であろうが私であろうが、
「私が相手のマイナスのコミュニケーションに乗ってしまうと、私がつらくなるから、やめよう」
 と決断するかどうかです。

 そんなマイナスのコミュニケーションをやめる方法として、例えば、Qさんの『物事に取りかかろうとする直前に、「○○やってもらえるかな」と言われる』場合は、相手がそんな言葉を掛けてくるタイミングはわかるのですから、Qさんのほうから先回りして、「これをやりますね」と、自分中心的な態度で自発的に答えるのも一法ではないでしょうか。