奪う意識 1
勝ち負けを争う競争社会では、相手に勝つために、しばしば奪い合う場面が展開します。支配性の強い人ほど、奪わなければ手に入らないと思い込んでいます。
子供の頃、私はこの奪い合いができず、またそんな場面になるのが苦痛で苦痛でたまりませんでした。「争い合って奪わなければならないのなら、いっそ、負けたほうがまだラクだ」と思っていました。
もちろん心では、自分の欲しいものを諦めるわけですから、心から、自分のそんな行動を、肯定的な気持ちで認めていたわけではありません。
では、ほんとうに、欲しいものを手に入れるためには、「奪わなければならない」のでしょうか。
それを奪って、自分だけが確保する。
そのとき、自分の無意識は、どうなっているか。
相手もそれを得る権利があるのを知っているので、「自分だけが独占した」という後ろめたさが残ります。
逆に、自分だけが手に入れることができた、という独占欲を満たす気持ちよさを感じる人もいるでしょう。
それでも、100パーセント、満足とはなっていません。
「奪う意識」はまた、「奪われる意識」です。
自分が奪うのですから、「奪われるかも知れない」と発想するのは当然ですね。
そこに恐怖が生まれます。
恐怖が生まれると、どういうことになるでしょうか。
常に「奪われること」を意識して警戒したり、さらに急いで「奪いたい」気持ちに駆られるでしょう。
周囲を警戒する意識。
「奪わなければ、奪われる」という恐れや恐怖。
こんな意識は、奪えば奪うほど、エスカレートしていきます。
物質的なものは、ゲットするので「得する」でしょう。けれども、精神的には、「損をする」ように思います。
最終的には、物質的にも損をするような気がします。 (つづく)