奪う意識 2
「奪う意識」は、結局、「得しない」気がします。
なぜなら、「奪う意識」は、自ら奪う環境へと身を投じていくからです。
奪う環境というのは、争いです。
目立った争いではなくても、奪う意識は、相手と心理的摩擦を増やしていくでしょう。
例えば、「これ、貸してください」と言うときも、
「いきなり、奪って、ポケットにそれを突っ込んだ後で、貸してください」
と言うかも知れません。
物はゲットできても、相手は不快になるでしょう。
こんな場面が、多くなるので、自ら敵をつくっていきます。
本人としては、相手に同意を求めることが照れくさかったり、自己表現が苦手で、つい言葉を発するタイミングを逸したりしているのかも知れません。
もしかしたら、相手が怖いのかも知れません。
でも、他人には、そういうふうには映りません。
いずれにしても、そうすることで、相手に不快感を与えて敵をつくりやすくなります。
それだけではありません。
問題なのは、自分自身が、そうしているとき、どんな気分でしているか。このほうが、重要なのです。
こんなとき、自分の意識が他者中心的に「ゲットする」ほうへ向いていると、自分がどんな気持ちでそんな行動をとっているかに気づかないでしょう。
けれども、気づかなくても、自分はそれを“実感”しています。
それが、後ろめたい気持ちだったら、どうでしょうか。
その後ろめたさが、形となっていくのです。
さらに、こんなことも起こっています。
相手と自分の境界線を自覚できないので、無自覚に、例えば人のボールペンを使ったり、無自覚に持ち帰ったりする、というようなこともしてしまうでしょう。
顕在意識では気づかなくても、無意識は、それに気づいています。
そんな「奪う意識」からくる後ろめたさが、自分を罰する方向へと、自ら、導いていくのです。(つづく)