不幸なお金持ち 3
お金を得たときの成功パターンを知る。
お金を失ったときの失敗パターンを知る。
失ったときの失敗パターンを、「成功パターン」に変える。
これが、「お金を得ても、一発屋で終わらずに、それを継続させる方法」といえるだろう。
ちょうど、そんなことを考えているとき、小さな出来事が起こった。
それは「どうして小さな損失にこだわるのか」を証明するに足る出来事だった。
近所の食料品店で、商品の10パーセント割引券を2枚もらった。
日にち限定なので、日にちが過ぎれば、無効となる。
けれども、財布に入れておくと「気分的にかさばって、邪魔」という意識があって、期限切れでなくても、勝手に「これはもう使わない」と決め付けて、処分してしまう。
そんな処分の仕方で、時折、失敗することがあった。
このときは、財布を開いたとき一瞬、その割引券に目がいった。
「使わないかも知れないけれども、もしかしたら、今夜店に寄るかも知れない」
そのとき、そんな中途半端な思いが湧いた。
果たして、今夜も帰宅が遅くなった。
けれども店は、まだ、閉店間際ながら開いている。
寄るつもりはなかったにもかかわらず、なぜか、ふらっと足がそちらに向いていた。
昼間に、その割引券をどうしようなどと、一瞬こだわっていた、その思いが向かわせたのだろう。
もし、そのこだわりがなかったら、店に行くことはなかったか、すでに行く時間には閉店していて、「ほらね、やっぱり捨てて正解だった」となっていただろう。
それほど、わざわざ、その店に、絶対的に行く必要がないと自覚しながら、ふらっと足が向いていた。
いざ、食料品を買って、レジに並び、財布を出すと、その割引券が
「ない!?」
記憶の中では、その割引券の鮮やかな緑色が残っている。
それを捨てた記憶もないので、どこかにあるはずだ。
財布を調べ直しても、
「やっぱり、ない!」
値段にすれば、割引金額はせいぜい100円程度の値段である。
たいした額ではない。
けれども、その100円の損失が気になった。
割引券が財布の中にあったのは、自分の目が記憶している。にもかかわらず「ない」。
捨てた記憶もない。
帰宅して、バッグを下ろし、手帳を開くと、その手帳の間に、その割引券が挟まっていた。
「なぜ、手帳の中に!?」
恐らく、捨てようとしていたときに、ちょっとした迷いが起こって、別のことに意識が向いたとき、そのまま忘れてしまったのだ。
このとき私が、はっきりと「捨てた」という自覚があれば、多分、私は店に寄ることはなかっただろう。
なぜ、100円にこだわるのか。
まさに、これが答えだった。
それを捨てたのかどうか、記憶が途中で途絶えている。
100円という額よりも、そんな自分の不覚さが悔やまれる。
私は、それを恥じていた。
それが「小さな額」にこだわってしまう理由だったのだ。
蛇足だが、答えを知りたいときは、こんな共時性が起こって、それを教えてくれるのが面白いし、また、嬉しい。その分だけ、自分の無意識を信じられるようになってきている、ということだから。 (おわり)