彼をゲットするには 1

「恋愛本には、彼をゲットするには、彼に合わせたほうが、いいって、書いてあるじゃないですか」
 と聞かれたことがあります。
 夫婦円満のコツも、「夫を立てて、妻が従えばうまくいく」といった本がロングセラーになっているというような新聞広告を見たこともあります。

 どんなことが書いてあるのかわかりませんが、「ゲットする」というのが、結婚を意味するのだったら、そんな方法もうまくいくのではないでしょうか。
 あるいは、三角関係の恋愛になっていて、ライバルから恋人を奪うといったときに、ゲットする方法だったら、うまくいくのかも知れません。

 けれども、結婚を前提としない恋愛だとしたら、「相手に合わせる恋愛」が、果たして、楽しいんだろうかと、私はつい、思ってしまいます。

「自分中心」の概念からすると、そんな恋愛は「他者中心」の範疇に入ります。
 例えば彼が、
「日曜日には、会えないからね」
 と言ったとします。
 彼は、その理由を言いません。彼女のほうも、その理由を聞くのが怖くて、聞けません。
 彼女にとっては、彼の言葉の「日曜日には、絶対に会えない」が不文律となっていきます。
 相手に合わせるというのは、こういうことです。

 あるいは彼は、
「僕は絶対に結婚しないからね」
 と言えば、それに合わせなければならなくなります。

「そんな大きなことだったら、ちゃんと言えます」
 果たしてそうでしょうか。
「日曜日には絶対に会わない」という彼に、「日曜日に時間を作って」と言えない彼女が、自分の一生を左右する「結婚する、しない」を、彼に言えるでしょうか。

「彼に合わせてゲットする」という発想は、どんどん「相手に言えない私」をつくっていくでしょう。
 もし仮に、彼に合わせてゲットした彼女が、運良く結婚までこぎ着けたとします。
 じゃあ、それで幸福になるかと言えば、どうでしょうか。
 結婚してからも、彼に合わせているとしたら、幸福感や充実感を味わうどころか、苦しくなっていくでしょう。
 かといって、結婚して急に、彼に合わせなくなったとしたら、これも争いの火花を散らすことになっていくでしょう。

 いずれにしても、外見は人並みの幸福を手に入れたように見えるけれども、自分を中心にしないと、「継続的な幸せの実感」は味わえないのではないでしょうか。

 自分中心でも、「彼が日曜日には会わない」というのであれば、それが前提となります、という言い方をしたりします。
 でもそれは、「相手に合わせる」こととは、違うのです。 (つづく)