“我慢”がつらい人生になる理由 2
「未来のために」というのも、「我慢のループ」にはまっている生き方と言えるでしょう。
例えば、
「老後の安泰のために、貯蓄する」
これは“安心”のための保険のようなものです。だから、貯蓄で未来への不安が、未来への安心に変わるのでしたら好ましいことでしょう。
けれども、
「お金がなくなってしまうと大変だから、いま、貯金をしなければならない」
などと、老後に備えて貯蓄に励むばかりで、“いま”を我慢しているとしたら、どうでしょうか。
あるいは、
「一生独身でいると年取ってから孤独になってさびしくなるから、結婚しなければならない」
「派遣社員でいると、正当に主張できないし、正当に評価してもらえないから、派遣社員よりも正社員にならなければならない」
「老後に誰も面倒みる相手がいないと大変だから、子供をつくっておかなければならない」
などと、未来の不安要素を未然に防ぐためにという理由で、自分をその鋳型に当てはめていくとどうなるでしょうか。
これも「未来の不安」のために、「いまを我慢する」という発想です。
こんなふうに、「未来」を思い煩い、そんな“未来への不安”に自分を合わせて我慢していると、かえって、それが現実となるでしょう。
それは、感情のレベルで強く実感していることは、その実感が、物事を引き寄せる種となるからです。
また、いまの我慢は、未来の我慢とフラクタルです。いま我慢していれば、未来も同じように我慢しているでしょう。だから、未来も
「未来の不安」のために行動しているでしょう。
「未来への不安」というのは、その「不安」を土台に、一つの言動パターンを形成しています。つまり、それはすでに、当たり前になっているような習慣です。
当たり前のようになっている習慣を、
「さあ、老後になったから、もう不安じゃないぞ」
と、ある日、いきなり覆すことは困難です。
すでに「未来の不安のために」という意識を土台にした言動パターンを築いているので、それを「いまの幸せのために」という意識に変えるには、継続的なレッスンが必要なのです。
むしろ、「未来への不安」に備えるには、
「いま、私が幸せでいるためには」
こんな発想のほうが、「未来への不安」も小さくなりますし、実際に、「不安になるような未来」も避けることができるのです。 (おわり)