勝っても、人生はうまくいかない 1

 相変わらず大勢のイメージは、一見、強い人(本当は、我が強い。自己顕示欲が強いだけの他者中心)の人への憧れが理想像としてあるようです。
 無意識の観点からいうと、それだけ多くの人が、「私は、人に対して自己主張できずに我慢している(つもりでいる)」から、「強いイメージの人」に憧れているのだと言えるでしょう。

 「強い」というイメージを持たれている人は、自己主張が強いので、自信に満ちているように映るでしょう。ところがそうやって、他者中心に自分を押し通そうとする人ほど、本人自身の内的意識では、自己評価がどんどん下がっていきます。
 なぜなら、そんな強い人が、「強い人」を演じ続けるのは、不可能だからです。

 みんなが、その人に対して、頭を下げます。
 一見、強くて怖い人に対しては、大勢の人が恐怖や恐れから平身低頭します。怖いので、正面切ってものを言う人もいません。
 頭を下げる人は、頭を下げながら、相手が偉そうに見えるから、自分自身もあんなふうになりたいと考えるでしょう。

 ところが、「強い」と言われる当の本人の心の中は、違うのです。

 頭を下げられる本人は、頭を下げられるから、さらに「強い人」のイメージを継続させなければならない、と思うでしょう。けれども、実際は、自分がそんなに強くないことは、本人自身が自覚しています。
 実際に、人を引っ張っていく力がないことを、本人自身も自覚しています。

 けれども、それを演じ続けなければならない。
 自分の実像を知られたくないから、秘密主義にもなっていくでしょう。奥の院に隠れなければ、自分の実像がばれてしまうからです。

 自分がそんな重圧に耐えきれなくなったら、自分からそれをぶち壊してしまいたくなるでしょう。
 だから一見、強い人は、最終的には、破壊者になっていく確率が高いのです。

 テレビ等では、「自己主張」の強い人が、失言して叩かれたり、トラブルを起こしたりしています。

「強い(怖い)」というイメージの人は、ほとんどが「ゼロか100」の発想をしています。「ゼロか100」の発想をしながら、勝ち負けにこだわって戦おうとするのですから、失言したりトラブルを起こしたりするのは、当然でしょう。

 けれども実は、無意識の観点からすると、それは、「自分自身が起こしている」というとらえ方をします。

 どうしてそんなことをするのでしょうか。
 
 「強い人」のイメージを保持するのがつらい。
 そんなイメージを守ろうとすればするほど、本当はそうでない自分とのギャップで、自己矛盾が起こる。
 そんな重圧に耐え切れない。
 かといって、勝ち負けの意識が強いから、負けたくない。

 負けない状態で、その座から降りるには、
「争って戦って、トラブルを引き起こせば、自分の面目は保ちながら、その場から去ることができる」
 こんなところでしょうか。

 というふうに、他者に対して「強いイメージを保持しようする」意識そのものが、とてもプレッシャーになるし、そんなプレッシャーを抱えながら継続させていくのは、不可能なのです。(つづく)