勝っても、人生はうまくいかない 2
他者に対して「強いイメージを保持しようとする」意識そのものが、とてもプレッシャーになるし、そんなプレッシャーを抱えながら継続させていくのは、至難の業です。
だから、恐怖の独裁者も、彼らが必ずしも最初から破壊者だったというわけではありません。
勝ち負けに強くこだわる意識と、戦いから降りることができない点。
さらに、自分が統率者たり得ないという自覚からくる自信のなさやその不安。
さらには、どんなに「尊敬?されても、満足しない。充実感を覚えない」点。
そんな思いが相まってやけくそになり、
「エエーイ、七面倒臭い。いっそのこと、全部チャラにしてしまえ」
とばかりに一切を破壊尽くす。
勝ち続けることは不可能ですし、「エエーイ、面倒臭い」となっていったんタガが外れると、けっこう、それが心地よいのです。
多くの人が憧れる「強い人」は、そんな破壊的な衝動性を孕んでいます。
自分が「強い人」ではないという自覚を持ちながら、そんな「強い人」に憧れている人も、実は、小粒の独裁者です。
「強い人」に憧れるそんな人は、実際には、まったく同じことを他者にしている「強い人」です。
独裁的に、横暴に振る舞っています。
相手を攻め、攻撃し、腹を立て、怒鳴っています。
無自覚に、人をどんどん傷つけています。
にもかかわらず、本人は、それに気付いていません。
どんどん相手を傷つける。つまり「勝っている」。
にもかかわらず、満足していない……。
それどころか、自分がこんなに不満足なのは、相手が自分に従ってくれないからだ。相手を従わせるには、
「もっともっと、強くならなければならない」
そう考えています。
こんなふうに、「一見、強い人」に憧れる人たちこそ、日常生活でも、“独裁者”をしています。
それでも、強い人に憧れるのは、どんなに自分が“独裁者”をやっても満足しないからでしょう。
そうなのです。
どんなに“独裁者”をやっても、満足しないのです。
「勝てば人生がうまくいく」
この公式そのものが、本当は、間違っているのです。
「なんだ、戦って満足を得ようとしても無駄なのか」
ここに気づけば、またひとつ、楽になるはずです。(おわり)