“抱き合って傷つけ合う”を実感する時期

 お正月を郷里で迎えるための帰省ラッシュが始まっています。
 一族郎党が一堂に会するシーズンです。

 実家から独立し、離れて生活している人たちは、自分たち親族の距離間隔が近いかどうかがわかりません。

 お互いが「心地よい距離間隔」でいるかどうかは、長時間、一緒に過ごしてみないとわからないことです。
 一族が集まったとき、その距離間隔が明らかになります。

 離れているために、かろうじてお互いの領域を浸食しないでいられる家族の間では、こんなとき、“抱き合って傷つけ合う”ようなトラブルが勃発します。

 独身生活の長い人も、距離間隔が近いかどうかがわからないでしょう。

「書いてあることは理解できるのですが、そうできれば理想だと思うものの、実生活では参考にならない本が多いんですね」
 という人がいました。
 その人が参考にしてきたという本は、著者が独身の方々や、俗世間から離れている方々の本でした。

 独身の視点で書かれている本は、独身の生き方としては参考になるでしょう。
 けれども、複数の家族と過ごしている人たちにとっては、あまり参考にならないかも知れません。

 もっとも「距離間隔」という点でいえば、独身生活をしている人たちの生活が理想ということになるかも知れません。

 ポイントは、家族がいても、そんな自由さを得ることができるかどうか、です。

 もちろん共に生活をしているわけですから、一方が自由で、一方は不自由では、困ります。

 お互いに、傷つけ合わないでいられる間隔。心地よいと感じられる“距離感覚”。

 これが実行できれば、まず、その解放感に驚くはずです。

 すべての人が、日常で、そんな距離感覚を時々において実感しています。
 自分に焦点が当たっていない人は、そんな心地よい距離感覚を感じているにもかかわらず、気づきません。
 気づいているとしても、そんな自由さを、自分に許していません。
 そんな“心地よい距離感覚”でいることに、罪悪感を覚えてしまうので、無意識に、すぐにそれを封印しようとしてしまうのです。

 けれども実は、その距離感覚を土台にしてはじめて、「プラスの関わり方」がわかってくるのです。

 余談ですが、この距離間隔はお金とも比例していて、楽しみながらお金持ちなった人たちは、そんな“心地よい距離感覚”で生活している人が少なくありません。