欲求が湧かない (こんなところにもライフスタイルが顕れている)

 前々回のメルマガ「“食”にもライフスタイルが顕れている」でも書いているように、自分のちょっとした意識が、大きな現実をつくっています。
 それは、小さなことも、大きなことも、そのミクロの実感(つまり意識)が現実をつくっていくからです。

 ミクロの実感。これが意識です。意識されていない意識というべきものでしょうが。
 これは純化した意識(良くも悪くも。善悪関係なく)で、謂わばダイヤモンドのようなものです。

 けれども、意識できないぐらい純化しているものは、自分でもわかりません。
 だからこそ、私たちの現実的な生活があるのです。

 例えば、「何をしていいかわからない」という人がいるとします。
 こんな状態になっているのは、心が「しなければならない」に占領されているからです。

 つまり、「しなければならない」がひな形となっているために、自分の欲求よりも、「しなければならない」からスタートします。

 こんな人の食生活はどうなっているでしょうか?
 もしかしたら、こんな人は機械的に、
「あ、食事の時間だから、食べなければならない」
 というような食べ方をしているかも知れません。

 食欲があるかどうかも気づかずに、
「時間がきたので、健康のために食べなければならない」
 と、義務的に食べているかも知れません。

 ここには「食べたい」という欲求はありません。あるいは「食べたくない」という欲求もありません。

 もっとも、それは、脳が鈍感になっていて「食べたい」あるいは「食べたくない」という欲求を受信できないだけで、ほんとうは“食べたくない”のかも知れません。

「健康のために」というのも、「しなければならない」という発想からスタートしているとしたら、反対に害を及ぼすかも知れません。

 こういった食べ方をやめるには、まず「時間通り食べる。機械的に食べる。自動的に食べる。義務的に食べる」といった行動を「やめよう」と決断すること。
 それだけでも、自分に変化が起こります。

 そして、「お腹が空いた」という“欲求”が起こったとき食べてみる。

 そうすることで、欲求が生まれます。
 そしてその欲求を満たすことができれば、良かったと、プラス感覚を実感できます。

 重要なのは、「満足した」という実感です。それを自覚して味わうことです。
 これが、「何をしていいか、わからない」を劇的に変化させるきっかけをつくるのです。

 どんなところにも自分のライフスタイルがフラクタルに顕れます。
 こんな小さなところを変えるだけで、大きなところも変わるのです。

 ですから、「何をしていいか、わからない」という人は、大きく変わることを目指すより、こんな「小さな欲求」を感じることから始めましょう。