罪悪感が強いとお金を得ない 2

 罪悪感は、言い換えれば「私が幸せになってはいけない」という意識です。
 お金でいえば「お金持ちになってはいけない」という意識です。

 そうだからと言って「悪口を言ってしまったら、お金持ちにならない」
 などと短絡的に考えないでください。
                       
 一般レベルでの悪口に、神経質になることはありません。
 楽しんでいるうちなら、まだ軽いほうでしょう。

 でも人の悪口を、朝から晩まで言っていたらどうでしょうか。
 それこそ、その罪悪感が蓄積していくとしたら、「何千、何万、何億」となりますね。

 いつも愚痴ばかりこぼしている人をみていると、いまさら言うまでもありません。
 その人が愚痴をこぼしながら実感しているのは、「不幸感」です。

 人の悪口を言っているときにその人が実感しているのは不幸感ですから、どんなにささやかな悪口であっても、言っている瞬間は不幸になっています。

 当然のことながら、悪口を言う分量が多ければ多いほど、不幸感を抱いている時間が長くなります。朝から晩まで独り言でも愚痴をこぼしていれば、その人は、朝から晩まで不幸感を抱いて暮らしていることになります。

 人の悪口を言っているときの心の状態というのは、決して自分は幸福で、相手は不幸だという見方はしていません。
 例えば、“私”がある人をみて、

「あんな性格だから、裏切られるんだよ」
 などと言っているとき、「私は裏切られないで幸せ」と言っているわけでも、「私は裏切られない幸せ」を実感しているわけでもありません。
 ほんのちょっとの優越感を一瞬、感じるぐらいでしょうが、それは「幸せ感」とはほど遠いものです。

 もし同じ場面であっても、自分の意識が「幸せ」を実感しているとしたら、
「世の中には、裏切られて傷つく人もいるけれども、私は、(自分の周囲の)こんな人たちと親しくできて、なんて幸せなんだろう。ほんとうに、みなさん、ありがとう」
 といった感謝の気持ちの“幸せ”を実感しているでしょう。
 相手に「ありがとう」とその気持ちを伝えて、「ありがとう」と言うその自分の言葉にも幸せ感を実感しているでしょう。それで相手が好意的な反応を返してきたら、それにも幸せ感を実感するでしょう。
 そして「裏切られた人」に対しても、その人の幸せを祈るような気持ちが湧いてくるでしょう。  

 こんなふうに、同じ場面をみていても、不幸一色になる人もいれば、何倍もの幸せを実感する人もいるのです。
 新刊「“なぜかお金がたまらない”が変わるコツ」に書いてあります。
 立ち読みでもかまいません。項目の中の一つでも実行できれば、それだけで、根底に巣くっている不適切な信念を崩す手助けとなるに違いありません。 (おわり)