繊細と過敏
元を正せば、同じような心の状態をあらわしています。
感情に鈍感。
感情に “繊細(過敏)”。
感情に鈍感だけれども神経質。
例えば、母親が、社会との関わりを拒否している子供に対して、
「ウチの子は、とても繊細なんです」
とよく言います。
学校の先生も、仲間と摩擦を起こしている子供を評して、
「とても、繊細なお子さんだから」
などと、言います。
親は「そうか。繊細だから、仕方がないんだな」と自分に言い訳します。そのために「繊細」という言葉を遣いたがります。
この場合の“繊細さ”は、「マイナス感情に敏感に反応する」という意味です。
自分の全神経が相手や周囲に向いていて「自分を傷つける」言葉に敏感に反応していきます。相手に悪意がなくても、悪意があるようにも聞こえることも少なくありません。
ですから、“繊細”という表現は当てはまりません。
その敏感さも、かなりフィルターがかかっています。
公平な「繊細さ」であるなら、プラスの感情や感覚にも繊細で、ささやかな場面や光景、自然に触れても、歓びにあふれ、幸せに浸ることができるでしょう。
感情には質と量があります。
質が高ければ高いほど、細やかで精妙で、温かく、永遠の「光や愛」そのものに近づいていくでしょう。時間、空間もなく、無限であまねく、という超高次の感じ方をするようになっていくでしょう。もちろんその量も、広大無辺です。言うなれば、「創造主」の領域ですね。
これはとても、言葉で言い表すことはできません。
私たちの生きる目標の一つは、ここに書いたような感情の「質と量を高めていく」ことです。
(ほんとうは、源泉にもどる、ということですが。)
その質と量は、人それぞれです。だから、これは体験していただくしかありません。
多少わかりやすく分類してみると、
1)ネガティブな感情もポジティブな感情も同じ分量。
2)ネガティブな感情には鈍感で、ポジティブな感情には繊細。
3)ネガティブな感情には過敏だけれども、ポジティブな感情には鈍感。
4)ネガティブな感情にもポジティブな感情にも鈍感。
それぞれを、質と量でみれば、もっとたくさん分類することができるでしょう。
「傷ついてばかりいる」という人たちは、おおむね、(3)でしょう。
相手によって「傷つけられた」と解釈することで起こるネガティブな感情に敏感ということです。
(3)でありながら、自分の感情に気づいていない人(つまり、自分の感情を愛せない人)は、自分では気づかずに神経質になっていくでしょう。しばしば自分の言動で人を傷つけていても、それすら気づきません。自分が傷つけていても、「傷つけられた」と解釈する場合も少なくありません。
もちろん、だから「悪い」ということではありません。どんな状態であれ、そうなったのは、もろもろの理由や環境があったのですから、責めているわけではありません。
と書いても、多分、「攻撃された。傷つけられた」という反応をする人もいるに違いありません。
「耳が痛い」人がいるかも知れませんし、怒りを感じる人がいるかも知れません。
けれども、自分がどんな状態かに気づくことは、非常に大切です。
なぜなら、自分に気づくというのは、自分を受け入れるということですし、そんな自分を認めるというのは、「強さ」だからです。
どうしても「良い悪い」にこだわってしまう人もいるでしょう。
それにこだわるのは、その人の自由です。一生、そんな見方で「自分が正しい」と叫び続けることもできます。それも自由です。
そんな生き方が、悪いわけでは、まったくありません。一生、「私が正しい」と叫び続けても、それもその人の人生ですので、自由です。
自分の「自由意志」は、どんな場合でも、尊重されます。
ただ、そんな生き方では、「私は正しくても、永遠にその苦しさから解放されないだろう」というだけです。
不定期メールで、こんなことを書いています。
絶えず傷つくことばかりが起こると、感情を閉ざして感じなくさせていきます。そうすることで、自分の心を守ろうとするのです。
自分を傷つけないために、感情に鈍感になる。適切な方法を知らなければ、そうするしかありません。
確かに、感情を感じなくさせれば、「ネガティブな感情」を感じないですみます。
けれども、“感情を感じない”ということは、「ポジティブな感情」も感じないですむということです。
ポジティブな感情を感じないと、どういうことになるでしょうか。
愛を感じるにも、希望を抱くにも、感情がなければできません。
感動や気持ち良さや満足は、感情があってこそです。
だから、ついついネガティブな感情に向かってしまう人は、一つは、「ポジティブな感情」の感度を高めることです。
この間開催された「お金持ち感覚を磨く」レッスンも、実はその方法のひとつです。ポジティブな感情の感度が鈍い人は、こんな「感じるレッスン」で、感じる感度の回路を伸ばしていくことが、その苦しみから脱出する最も有効な方法のひとつです。というよりは、不可欠です。
世界の各地で地震や暴風雨、竜巻といった自然災害が発生しています。
今回の地震、および原子力発電所問題で、直接大きな被害がなくても、
「怖くて、怖くてしかたがない。それが苦しい」
あるいは、
「はらわたが煮えくりかえるほど、怒りがこみ上げる」
「どんどん憎しみが湧いてきて、その憎しみを誰にぶつけていいかわからない」
といった声が相次ぎました。
自分の中に、過去の未解消の感情がある人ほど、実際、そうなっているのではないでしょうか。蓄積している過去の別の怒りが、そこに転化されるからです。
私たちの“意識”は、一般的に信じられている以上の力を有しています。
自分が安全な場所にいるかどうかは、自分の根底の意識が大きく左右します。
自分の意識がポジティブであれば、自動的に「安全」を選択していきます。結果として、「安全な場所」にいる確率が、はるかに高くなるでしょう。
だから、未解決の問題やそれによって蓄積している感情を解消することは、自分を守ることでもあるのです。