我慢の質を高める

 日本人の特徴は、良くも悪くも我慢強いことです。けれどもこの我慢強さが逆に、逆境を自ら作り出すということも忘れてはほしくありません。

 ほんとうは、我慢は必要ありません。
 簡単に解決することも、逆に、我慢するから問題を大きく、複雑にしていくということも少なくありません。

「我慢する」が慣れてしまっていると、どうしても、自分自身の無意識が我慢する場面を用意したり、我慢するシチュエーションをつくっていきます。

 もちろん、この「我慢しなくていい」という意味は、もっと説明をしないと誤解されてしまうかも知れません。
 他者から見ると、我慢しているように映っても、本人がそれを楽しくやっていたり、心地よくやっているとしたら、それを我慢とは言いません。

 同じことをしていても、やっているその人の心の感じ方のほうが重要なのです。

 だから「我慢」を日本人の美徳としつつ、もっとその“質”を高めていく必要があるかも知れません。
 それには、さまざまな情報を鵜呑みにしたり、無防備に人の言うことに従ったり、条件反射的にそれに従うということをやめることです。

「魔女の鉄槌」(苫米地英人著)フォレスト出版の中に、「日本政府の大衆操作」と題して、こんなことが書いてありました。

『日本政府は、東日本大震災の復興財源を増税に求めようとしています。国民がみな、当方を救うための増税なら進んで受け入れようと考えるのは当然のことです。~略~。しかし、復興増税となると、ちょっと待ってほしいと考えます。』
 増税の理由として、『日本政府はおよそ900兆円の借金を引き合いに出します。けれども資産のことを言わずに、負債のことばかりを指摘するのは公平でありません。日本政府の資産総額は、およそ450
兆円あります。』
『日本は海外にたくさんの資産をもっています。この対外資産から対外債務を差し引いた対外純資産は、およそ240兆円もあります。これは、世界最大規模です。』
 それを除外して、復興費用を捻出するには増税するしかない、という主張はおかしいと著者は言っています。

 簡単に言えば、「危険物を推進したのは私です。それが壊れてしまいました。けれども弁償しません。私は払いたくないので、別の人から捻出するようにしましょう」というようなものです。

 もちろんこれは、苫米地さんの主張です。だから、これが真実だと言っているわけではありません。
 けれども、自分の感覚を信じるならば、誰しも「どうしてそれが、すぐに増税になるんだ」と、胸にひっかかりを感じるのではないでしょうか。

 そんな“自分の感覚”を信じてほしいのです。

 もしあなたが、これまで、
「政府が決めることだから、我々にはどうしようもない。嫌だけど、従うしかないんだ。我慢するしかないんだ」
 と諦めてしまっていたとしたら、そんな構造を自覚するだけでもいいし、関心を抱くだけでもいいのです。

「無条件に我慢する」あるいは「不満を抱きながら我慢する」。こんな我慢と「それを自覚しつつ我慢する」というのではまったく違います。

 この「自覚をもった我慢」は、未来を信じています。
 そんな自覚が、やがて色々な場面で“意志”となり、それが自主的な“行動”となっていくのです。