大難を小難にする方法 2

 日月神示に、こういうことが書いてあった。   

 ほんとうは、「日月神示」のように卓越した内容であっても、積極的に引用したいとは思っていなかった。なぜなら、自分中心になればなるほど、信頼できる書物が言っていることは、結局は、同じことを言っ
ていると知れるからである。

 けれども、私ごとき生身の人間が言うことよりは、「権威ある神様らしき人たちや宇宙人や正体不明の謎の人々」が言っていたほうが、信憑性があると思っていただけるようなので(笑い)、これからはたびたび、引用させていただくかも知れない。(もちろん、日月神示の内容は、計り知れないほど深い。)

 さて、前置きが長くなったが、
「祓えせよと申してあることは、何もかも借銭なしにすることぞ。借銭なしとはメグリなくすることぞ、昔からの借銭は誰にでもあるのざぞ、それ払ってしまうまでは誰によらず苦しむのぞ、人ばかりでないぞ、家ばかりでないぞ、国には国の借銭あるぞ。」

 今回は、「世界の大祓えぞ」ということで、すべての借銭をチャラにするようなことになる、というわけである。

 つまりこの、「借銭」が、「選択の責任」の “責任”の部分である。この選択した結果の責任を、すべて祓ってしまうようなことが起こる、と言っているのだ。

 この責任の範囲というのは、日月神示を基準にするなら、人類だけでなく、国、地球、銀河系、宇宙。さらには過去・現在・未来、あるいは過去世・現世・来世・異次元すべてを含むことを意味するだろう。

 日月神示でも、今回の戦いは、戦いではないと言っている。戦ってはいけないと。
 戦わなくても、勝つ。厳密には勝つわけでもない。

 自然と自分たちの意識の合ったところにいて、戦いたい者は戦うことに。戦わなくても、「自分たちの責任」で、潰れる者は互いにつぶし合う、ということになる。
 だから、戦いの望まぬ者は、戦う必要もない。

 それが、冒頭に書いた「一対一の法則」である。

「一対一の法則」に任せて、争いを降りるか、それとも、「一対一の法則」の中に加わって、三角関係、四角関係、五角関係というふうに、争いの輪を拡げていくか。
 争いを拡げていけば、それまた“メグリ”となって、逆に「小難が大難に」となる。(つづく)